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津城(お城公園)・天守台跡

津城(お城公園)・天守台跡

三重県津市丸之内、津城(お城公園)の城山稲荷神社東側にあるのが、天守台跡。津藩の藩祖となった藤堂高虎は、津城の修築にあたって、天守は構築していないので、天守台は織田信包時代に5層の天守が建っていた跡とも、富田家時代に3層天守と2層小天守の跡ともいわれています。

現存する津城の貴重な遺構が天守台の石垣

大正時代の古写真には、天守台の上には東屋が設けられており、当時は展望所となっていたことがわかります。
また内堀は蓮池といわれるほどにハスが繁茂していました。

本丸と西の丸の間には堀があり、土橋が架かっていましたが、埋め立てられ日本庭園が築かれています。
昭和33年、丑寅櫓跡に隣接する多聞櫓跡地にコンクリート製の模擬隅櫓(三重櫓)が築かれていますが、史実を無視した櫓のため、あくまでも観光用のシンボル的な存在ということに。

近年の研究で、寛永年間(1624年 〜1643年)に描かれた絵図に三重天守と二重小天守が描かれていることから、藤堂高虎以前の富田一白(とみたいっぱく)、富田信高(とみたのぶたか)が天守を再建したことが判明しています。
ただし、その天守も藤堂高虎の嫡男・藤堂高次(とうどうたかつぐ)が藩主の寛文2年(1662年)の火災で焼失、その後は幕府への配慮で、天守は再建されていません。

現存するL字型の天守台跡に、3層の大天守、2層の小天守が連立していたのだと推測され、野面積みの天守台石垣は、津城では唯一ともいえる貴重な遺構となっています。
天守台横には埋門(うずみもん)と称される石垣間に開けられた通路がありますが、藤堂高次時代の寛永16年(1639年)に築かれたもの。

津城(お城公園)・天守台跡
名称 津城(お城公園)・天守台跡/つじょう(おしろこうえん)・てんしゅだいあと
所在地 三重県津市丸之内27
関連HP 津市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 近鉄名古屋線津新町駅から徒歩15分
ドライブで 伊勢自動車道津ICから約4km
駐車場 津商工会議所前市営駐車場(有料)を利用
問い合わせ 津市教育委員会生涯学習課 TEL:059-229-3251
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

津城

三重県の県庁所在地である津市は、中世、伊勢湾の交易を支えた三津七湊の一つ、安濃津(あのつ)に由来する地名。その安濃津を眼前に、戦国時代に築かれた城が津城(安濃津城)で、江戸時代には築城の名手・藤堂高虎により近代城郭として改修され津藩の藩庁と

津城(お城公園)・藤堂高虎公像

三重県津市丸之内、津城(お城公園)に立つのが、藤堂高虎公像(とうどうたかとらこうぞう)。お城公園は津城の本丸と西之丸の跡、そしてそれを取り囲む内堀を公園化したもので、本丸跡に立つのが伊勢津藩の初代藩主となった藤堂高虎の像です。津藩の藩祖で、

 

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