日本三大怨霊(1)菅原道真

自分が受けた仕打ちに恨みを持ち、祟(たたり)などをする霊が怨霊(おんりょう)。平安時代の御霊信仰(ごりょうしんこう)が背景にありますが、日本三大怨霊の筆頭は菅原道真。政敵に恨みを抱いて左遷先で没した後、京の都では、関係者の死、朝廷に雷が落ちるなど不可思議な事が頻発しています。

菅原道真の左遷、そして神格化されるまで

北野天満宮
北野天満宮

発端:藤原時平の讒言=昌泰の変(しょうたいのへん)
延喜元年(901年)、左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)が右大臣・菅原道真を陥れるために虚偽の罪を醍醐天皇に訴え、道真を大宰員外帥(だざいのごんのそち=大宰府における事実上の最高責任者)として大宰府に左遷。
背景には多くの貴族層が菅原道真に反感を抱いていたことが推測できます。
非業の死:実際には名ばかりの任官で、旅費も自腹、そして太宰府では政務につくことは禁じられ、名誉回復、復権の道は閉ざされていました。
左遷から2年後の延喜3年2月25日(903年3月26日)、太宰府で没。
怨霊の仕業とされた事件:延喜9年(909年)、藤原時平が39歳で病死
延喜13年(913年)、右大臣・源光(みなもとのひかる)が狩り途中、沼で溺死
延喜23年(923年)、醍醐天皇の皇子・保明親王が薨御
延長8年(930年)、朝議中の清涼殿に落雷があり、多くの要人が死去、それを目にした醍醐天皇も3ヶ月後に崩御(清涼殿落雷事件)
道真の怨霊は天満大自在天神となったと世間に流布
神格化:天暦元年(947年)、北野天満宮に祀られて神(御霊)に(神宮寺は朝日寺)
藤原師輔(ふじわらのもろすけ=藤原時平の甥)が、社殿を建設
正暦4年(993年)、太政大臣を贈与
現在は全国に1万2000社の分社(天神社、天満宮、菅原社など)があり、学問の神として有名

日本三大怨霊(1)菅原道真
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

よく読まれている記事

こちらもどうぞ