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西の正倉院

西の正倉院

宮崎県美郷町南郷地区に伝わる百済伝説は、7世紀、百済の滅亡時に朝鮮半島から百済の王族が南郷に落ち延びたというもの。王族の遺品といわれる神門神社の宝物・銅鏡「唐花六花鏡」(瑞花六花鏡)など、伝承を裏付ける遺物を収蔵展示する施設が西の正倉院。建物は奈良の正倉院と瓜二つの設計になっています。

奈良の正倉院と寸分たがわぬ建物

神門神社に伝わる33面の銅鏡のうち唐花六花鏡(とうかろっかきょう=瑞花六花鏡)という6花形、かまぼこ縁の銅鏡は、鏡背の文様が東大寺大仏殿出土品、正倉院御物のひとつと同じ文様。
実は日本に現存する唐式鏡300面の内、17面もが南郷地区に残されているのです。

西の正倉院の建物は宮内庁の協力、奈良国立文化財研究所の学術支援、建設大臣の特別許可を得て、門外不出とされていた奈良の正倉院原図(宮内庁所管)をもとに樹齢400年〜500年の木曾檜を使って正倉院を寸分の違いもなく忠実に再建したもの。
釘や金具、瓦や柱などの部材や瓦の葺き方まで忠実に再現し、「今まで非公開だった正倉院の内部が見学できる」というかたちになっているのです。

館内には南郷に落ち延びた百済王・禎嘉王(ていかおう)を祭神とする神門神社所有の百済王族にまつわる多数の宝物を展示するほか、旧南郷村に伝わる百済王族の伝承を詳しく紹介しています。
つまり、西の正倉院は神門神社の「正倉」な性格を有しているのです。

前庭は、当初、奈良・正倉院を参考に芝生とする予定でしたが、天平の時代には芝生はなかったという歴史的な事実から伊勢砂利を用いるなど、かなりのこだわりが。

西の正倉院
名称 西の正倉院/にしのしょうそういん
所在地 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区神門62-1
関連HP 美郷町公式ホームページ
電車・バスで JR日向市駅から宮崎交通バス神門行きで1時間15分、百済の館前下車、徒歩すぐ
ドライブで 東九州自動車道日向ICから約40km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 西の正倉院管理棟 TEL:0982-59-0556
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

百済の館

宮崎県美郷町の旧南郷村には百済(くだら=古代の朝鮮半島にあった国)滅亡時に王族が移り住んだという伝承が残されています。天智2年8月(663年10月)、白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れた後に、この美郷町に落ち延びたという伝承があり、それを

恋人の丘

百済王の亡命伝説が残る宮崎県美郷町南郷区(旧南郷村)を見おろす小高い丘にある展望台が恋人の丘。六角形の東屋は、韓国の扶餘(プヨ=朝鮮半島にあった古代国家・百済最後の都があった場所)の落花岩(百済滅亡時、宮女が白馬江に投身したという伝説が残る

 

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