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小村寿太郎生家

小村寿太郎生家

宮崎県日南市の飫肥城(おびじょう)の城下町に現存するのが小村寿太郎生家。明治時代に外交官として活躍した小村寿太郎(小村壽太郎)は、安政2年9月16日(1855年10月26日)、飫肥藩の下級藩士・小村寛平と梅子の長男として生誕。生まれた場所は現在の生誕碑の地(旧山本猪平家の南側)です。

飫肥が生んだ明治の外交官・小村寿太郎の生家

その後、町人町に住む小村家が破産したため、明治時代後期に小村寿太郎生家はかつての藩校で、寿太郎も学んだ振徳堂裏に移築。
さらに大正10年に現在地(武家屋敷通り)に移築されています。

式台の正玄関と脇玄関を設ける飫肥重要伝統的建造物群保存地区における伝統的な建築様式を現在に伝える重要な建物のため、平成15年に大規模な改修整備が行なわれ、平成16年4月から公開されています。
8畳間が2、6畳間が2、4畳間3に板の間3という構造。
奥に土間、井戸、風呂などが配されています。

小村寿太郎は、外相時代には日英同盟(明治35年)の締結、さらにポーツマス条約(日露講和条約/明治38年)に調印して、日露戦争を終結に導いているほか、条約改正の完成(関税自主権の完全回復/明治44年)など、多大な業績を残しています。

小村寿太郎生家
名称 小村寿太郎生家/こむらじゅたろうせいか
所在地 宮崎県日南市飫肥4-5-16
関連HP 日南市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR飫肥駅から徒歩15分
ドライブで 東九州自動車道日南東郷ICから約4km
駐車場 飫肥城観光駐車場(159台/無料)
問い合わせ 小村記念館 TEL:0987-25-1905
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

飫肥城・松尾の丸

宮崎県日南市、藩政時代に飫肥藩(おびはん)の藩庁となった飫肥城は、周囲が24町(約2.6km)あり、本丸、藩主の生活の場だった松尾の丸、中の丸、今城、西の丸、北の丸、松の丸、小城、中の城、宮薮、八幡城からなる、典型的な平山城。大手門から松尾

振徳堂

第31代飫肥藩主・伊東祐相(いとうすけとも)の命で、江戸時代後期の天保2年(1831年)に開設した飫肥藩の藩校が振徳堂(しんとくどう)。石垣に囲まれた広い敷地内に、長屋門と主屋が保存されています。明治時代、外交官として活躍した小村寿太郎も飫

国際交流センター小村記念館

宮崎県日南市にある小村寿太郎(こむらじゅたろう)を顕彰するミュージアムが国際交流センター小村記念館。日英同盟、ポーツマス条約の締結、関税自主権の完全回復など、日本外交に多大な功績を残した小村寿太郎は、安政2年9月16日(1855年10月26

 

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