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延岡城・千人殺しの石垣

延岡城・千人殺しの石垣

宮崎県延岡市、藩政時代に縣藩(あがたはん/後に延岡藩)の藩庁だったのが延岡城。北大手門から二の丸に入ると見上げるように石垣が迫りますが、これが千人殺しの石垣。高さ22m、総延長70mという壮大な石垣で、礎石を外すと一気に崩れる仕掛けと伝えられています。

延岡城二の丸広場で注目の石垣

二の丸広場にある千人殺しの石垣。
千人殺しの石垣という名前も明治維新以降に生まれたネーミングだと推測されています。
自然石を積み重ねた野面積み(のづらづみ)で小さな栗石(くりいし)を石の間に詰めて補強しています。
角の部分は、石材の長辺と短辺を交互に組み合わせて積む算木積み(さんぎづみ)になっています。

角の稜線部分の最下部はコンクリートで補強されていますが、昭和10年11月15日、天皇の行幸時に子供の通れるほどの空洞があった部分をコンクリートで塞いだ部分です。

実際には、算木積みで正確に積まれた石垣が、礎石を抜くだけで簡単に大規模に崩落するとは考えづらく、しかも戦闘中に数十人を使って礎石を引き抜くことができるとは思えないので、あくまで後世の人の創作だと推測できます。

延岡城・千人殺しの石垣
名称 延岡城・千人殺しの石垣/のべおかじょう・せんにんごろしのいしがき
所在地 宮崎県延岡市東本小路157
関連HP 延岡市公式ホームページ
電車・バスで JR延岡駅から福祉大学行き宮崎交通バスで10分、市役所前下車、徒歩すぐ
ドライブで 東九州自動車道西都ICから約76km
駐車場 城山南駐車場(113台/3時間まで無料、以降有料)
問い合わせ 延岡市都市計画課 TEL:0982-22-7022
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

延岡城

1603(慶長8)年、高橋元種により、近代的な銃や大砲からの攻撃に耐えるよう五ヶ瀬川と大瀬川に挟まれた丘に建てられたのが盛岡城で、現在、延岡城跡が城山公園として整備されています。建物は明治4年の破城令により、ほとんどの建物が破却されています

 

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