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平城宮跡・大極殿

奈良時代の日本の首都、平城京。日本の古代の都は、唐の条坊制を模範に造営されているため、平城京の中央北辺に朝廷の正殿となる大極殿(だいごくでん)などのある平城宮(内裏)を配置しました。平城京の南端中央にある羅城門(平城京正門)と、平城宮正門である朱雀門を結ぶ朱雀大路の延長上に大極殿は建っていました。

平城京遷都当時の平城宮の正殿となる大極殿を復元

平城宮の正門である朱雀門をくぐると、応天門(朝廷の正庁・朝堂院の正門)があり、その先に朝堂院、さらに大極殿が配されていました。
唐招提寺の講堂(国宝)は平城宮朝堂院にあった建物の一つである東朝集殿を移築したもの。

大極殿は、天皇の即位や元日朝賀などの重要な国家儀式、さらには外国使節の歓迎の儀式が行なわれた政庁です。

現在、建物が復元されているのは、第一次大極殿院地区。
元明天皇(女帝)による710(和銅3)年の平城京への遷都当初から740(天平12)年にいったん恭仁京へ遷都されるまでの間、大極殿が置かれていた場所です。

745(天平17)年に都は再び平城京に戻されますが、その際には第一次大極殿院地区の東隣に大極殿が移されています。

文化庁は、「特別史跡平城宮跡保存整備基本構想」に基づき、平城宮の宮跡全体を「遺跡博物館」とみなした整備・活用事業を行なっていますが、大極殿の復元もその一環。

発掘調査によって得られた基壇及び階段の痕跡と発見遺物などをもとに、平安京大極殿に関する諸資料や現存する飛鳥・奈良時代の建物を参考に、綿密な歴史学的な考証を経て築かれています。

ただし、往時の建物では地震で倒壊するおそれがあるため、最新の免震装置を備えています。

平城宮跡は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録。

平城宮跡・大極殿
名称平城宮跡・大極殿/へいじょうきゅうせき・だいごくでん
所在地奈良県奈良市佐紀町
関連HP国営平城宮跡歴史公園公式ホームページ
電車・バスで近鉄奈良線・京都線大和西大寺駅から徒歩10分
ドライブで京奈和自動車道木津ICから約7.5km
駐車場県営奈良めぐり平城宮跡前自動車駐車場(130台/有料)
問い合わせ平城宮跡管理センター TEL:0742-36-8780/FAX:0742-36-8781
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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