奈良県(生駒市)と大阪府(東大阪市)との県境にある国道308号、大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線の峠が暗峠(くらがりとうげ)。古代には、大坂(難波津)と平城京を暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう=暗越大坂街道)の一部で、現在も国道・県道の重複道が通るの峠越えの道ですが、関西を代表する「酷道」「険道」になっています。
暗峠は「日本で唯一の国道の石畳区間」
生駒山頂から南に下った鞍部(あんぶ)、標高455mに位置する暗峠(信貴生駒山系の縦走コース、信貴生駒スカイラインと交差)。
古代には二軒茶屋〜暗峠〜奈良を結ぶ8里8町の道で、難波津(現在の大阪港)を通しての唐や朝鮮との交流もこの道を経由して行なわれていました(それ以前、隋などとの交易は南回りの竜田道などが使われていました)。
鑑真(がんじん)もこの峠を越えて平城京入りしたと推測されています。
難波津と平城京を結ぶ最短距離の道だったので、「直越(ただごえ)」とも称されていました。
「直越えの この道にして 押し照るや 難波の海と 名付けけらしも」は、『万葉集』(巻6-977)に残された遣唐使に随行した官人・神社老麻呂(かみこそのおゆまろ)の歌。
江戸時代には脇往還として整備され、神宮に参詣する伊勢参宮道としても使われました。
元禄7年(1694年)、9月9日(重陽=菊の節句)、芭蕉の最後の旅となった伊賀から大坂への旅の途中、暗峠を越えた松尾芭蕉は、「菊の香に くらがり越ゆる 節句かな」と詠んでいます。
明治23年、湊町駅〜奈良駅間に大阪鉄道(現在のJR大和路線)が開通するまでは、幹線道路として賑わいをみせました。
現在は峠周辺に石畳が残され、「日本で唯一の国道の石畳区間」、「日本一勾配がきつい国道」となっていて、「日本の道100選」にも選定。
車が走るにはかなり過酷な道で、週末はハイキングの人も多いので通行には注意が必要(幅員が2m以下の場所があります)。
峠東側(奈良県側)の西畑町には「西畑の棚田」と呼ばれる美しい棚田が広がっています。
暗峠 | |
名称 | 暗峠/くらがりとうげ |
所在地 | 奈良県生駒市西畑町・大阪府東大阪市東豊浦町 |
電車・バスで | 近鉄枚岡駅から徒歩40分 |
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