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平田梅山古墳

平田梅山古墳

奈良県高市郡明日香村平田にある古墳が、平田梅山古墳。墳丘長140mという前方後円墳で、古墳時代後期の築造と推測されています。同時代の古墳としては巨大なため、ヤマト王権最終期の大王墓と推測され、宮内庁は檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)として第29代・欽明天皇の陵に治定(じじょう)。

明日香村最大の古墳は、飛鳥時代の大王墓

平田梅山古墳の築造時期は、ヤマト王権から、律令制への過渡期(飛鳥時代)にあたる6世紀後半から7世紀初頭と推測されています。

宮内庁管理の古墳のため、欽明天皇檜隈坂合陵に拝所(はいじょ)が設けられ、周辺部から見学するのみで、学術調査も行なわれていないため、実際の被葬者は定かでありません。
墳丘長318m、奈良県下最大(全国6位)の古墳の丸山古墳 (橿原市)を欽明天皇陵とする学説もあり、平田梅山古墳の被葬者は、蘇我馬子の父・蘇我稲目(そがのいなめ)ではないかと考える人もいます(蘇我稲目の墓は都塚古墳とも)。

歴史的には平安時代末期に成立した『今昔物語集』に平田梅山古墳が欽明天皇の陵とされていると類推できる表記があるので、中世にはすでに欽明天皇の陵と考えられていたことがわかります。
ただし、江戸時代に大規模な修築が行なわれていて、墳丘と周辺は大きく改変されてもいます。

平田梅山古墳は墳丘北側に掘り込み(背面カット)があるなど飛鳥時代の古墳の特徴を有し、さらに全面を葺石で覆っていることなどから(飛鳥時代は石材を用いた文化が栄えた時代)、飛鳥時代の大王墓だろうと推測されています。
700mほどしか離れていない丸山古墳 (橿原市)との関係性もあって、古墳時代における大王墓の位置づけ、さらには飛鳥時代の歴史的意義にも大きな影響を及ぼすため、研究者の間では論争となっているのです。

欽明天皇の陵墓がどこなのかは、長年に渡って論争があるため、平成9年には宮内庁書陵部が発掘調査を行なっていますが、今もまだ被葬者は謎のままです。

周辺には鬼の雪隠(せっちん)、鬼の俎(まないた)、高松塚古墳(国営飛鳥歴史公園)などがあり、歴史探勝の途中に寄り道ができます。
また、平田梅山古墳の南西に隣接する吉備姫王墓(吉備姫王=欽明天皇の孫、皇極天皇・孝徳天皇の母、天智天皇・天武天皇の祖母)は、猿石で有名。

平田梅山古墳
名称 平田梅山古墳/ひらたうめやまこふん
所在地 奈良県高市郡明日香村平田
関連HP 宮内庁公式ホームページ
電車・バスで 近鉄飛鳥駅から徒歩10分
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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