飛鳥地方の西南部、桧隈(ひのくま)と呼ばれる渡来人の里(飛鳥歴史公園内高松塚周辺地区)に位置する直径18m(上段)、高さ5mの円墳が高松塚古墳。藤原京期(694年~710年)の築造で、被葬者は特定されておらず、天武天皇の皇子説、臣下説、朝鮮半島系王族説などがあり定かでありません。
石室内の彩色壁画から日本の古代史を探る
昭和47年3月21日に橿原考古学研究所が石室内に鮮やかな星辰(星宿)図、日月像及び四神図、人物群像の彩色壁画が発見され話題を呼びました。
壁画は国宝に指定されていますが、保存上、一切非公開となっています。
古墳に隣接する「高松塚壁画館」に壁画が原寸・原色で再現。
古墳一帯は国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区として、古墳の近隣地帯も星宿広場として整備されています。
星宿とは星の宿る場所、つまりは星座のこと。
星宿広場は、高松塚古墳石室の天井に描かれた星宿図をモチーフに、芝生に自然石で星座を描いた園地です。
周辺には中尾山古墳や鬼の雪隠(せっちん=トイレ)、鬼のまないたとよばれる巨大石造物があるのであわせて見学を。
美しい壁画に注目!
「わが国考古学会の戦後最大の発見」といわれる極彩色の壁画を施した石室が見つかった高松塚古墳。
江戸時代には文武天皇陵とも考えられたことがあった墳丘ですが、明治以降は一部の研究者を除いて注目されることもなかったのです。
昭和47年、地元の人が貯蔵庫を造ろうと丘陵地に穴を掘ったのが発見のきっかけ。
その後の調査で古墳時代最後の古墳で、美人画(女人像群)を含む美しい壁画が見つかりました。
関西大学博物館高松塚古墳壁画再現展示室
江戸時代には文武天皇陵とも考えられたことがあった墳丘ですが、明治以降は一部の研究者を除いて注目されることもなかったのです。
昭和47年、地元の人が貯蔵庫を造ろうと丘陵地に穴を掘ったのが発見のきっかけ。
その後の調査で古墳時代最後の古墳で、美人画(女人像群)を含む美しい壁画が見つかりました。
現在、国の特別史跡になっている装飾古墳は、高松塚古墳のほか、同じ明日香村のキトラ古墳と、ヤマト王権の九州支配の拠点だった福岡県嘉穂郡桂川町にある王塚古墳の3ヶ所にすぎません。

高松塚古墳 | |
名称 | 高松塚古墳/たかまつづかこふん Takamatsuzuka Tumulus |
所在地 | 奈良県高市郡明日香村平田439 |
関連HP | 国営飛鳥歴史公園公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄吉野線飛鳥駅から徒歩15分。また、駅前のレンタサイクル利用で5分 |
ドライブで | 西名阪自動車道郡山ICから約20km |
駐車場 | 飛鳥歴史公園高松塚地区駐車場(36台/無料) |
問い合わせ | 高松塚壁画館 TEL:0744-54-3340 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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