埼玉県さいたま市にある「鉄道博物館」に静態保存されるナデ6110形式6141号電車。第一次世界大戦が始まった大正3年、鉄道院新橋工場で製造された車両で、国の重要文化財に指定。都市近郊における鉄道輸送の需要増大に対応して製造された車両で、この電車が「通勤電車のルーツ」ということになります。
現在につながる通勤電車の原型、3扉で複数の連結が可能
鉄道院最初のボギー電車(車体の前後に2軸の台車を装着した車両)として明治42年に製造されたホデ6100形式の改良タイプ。
新橋工場で製造された第32号車です。
もともとは外濠を走る甲武鉄道(現在の中央本線御茶ノ水〜八王子)のボギー電車の後継として明治42年にホデ6100形式10両が日本車輌製造で新製、それを改良したものです。
製造当初は、全長16m、自重27.34t。
台枠、台車、床下機器が鋼製、車体を木製とし、屋根は採光と通風を兼ねた二重構造という当時の客車スタイルを踏襲しています。
ホデ6100形式では2扉でしたが、通勤輸送に対応するため、鉄道院としては初の3扉を導入。
1人の運転士が複数の車両の動力を制御する総括制御装置を本格的に採用し、重連運転が可能となったため、「国電」の原型とも、通勤電車のルーツとも称されています。
定員は、座席44名、吊手48名の92名。
自動空気ブレーキは、アメリカのウエスチングハウス社製、直流直巻式50馬力の電動機や制御器は、アメリカのゼネラルエレクトリック社製でいずれも輸入品。
鉄道博物館の車両ステーション1階に静態保存
中央本線や山手線の電車区間で使用された後、中央本線・山手線が昇圧されたことをきっかけに、大正14年1月に目黒蒲田電鉄(現・東京急行電鉄)に譲渡され、モハ41(40形)に。
昭和5年3月に芝浦製作所に譲渡、モハ41として工場の牽引車として事業用に使用されるようになりました。
昭和5年末には、鶴見臨港鉄道(現・JR東日本・鶴見線)に譲渡、モハ202 (200形)となり、昭和15年にモハ142(140形)に改番。
戦時下の昭和18年7月1日、鶴見臨港鉄道が国策で国有化されたことを受け、モハ142のままに鉄道省翼下になりますが、昭和25年7月30日に今度は日立電鉄(平成17年、鉄道事業廃止)に譲渡され、昭和39年には電動貨車化されてデワ101に改番。
昭和47年に国鉄へ返還され、国鉄大井工場で復元・整備が行なわれ、10月14日に鉄道記念物に指定。
昭和62年8月にはパンタグラフを動態化して、国鉄大井工場内を走行しています。
平成19年10月14日に鉄道博物館に保存され、平成29年9月15日に「ナデ六一四一号電車」として国の重要文化財に指定されました。
明治末年から大正時代にかけての電車の近代化、標準化の変遷を伝えるほぼ唯一の車輌というのが国の重要文化財になった大きな理由です。
現在は鉄道博物館の車両ステーション1階に静態保存されています。
「通勤電車の原型」のナデ6110形式は、国の重要文化財 | |
所在地 | 埼玉県さいたま市大宮区大成町3-47 |
場所 | 鉄道博物館 |
関連HP | 鉄道博物館公式ホームページ |
電車・バスで | ニューシャトル(埼玉新都市交通)鉄道博物館駅から徒歩1分 |
ドライブで | 首都高速埼玉新都心線新都心西口から約4km |
駐車場 | 291台/有料 |
問い合わせ | 鉄道博物館 TEL:048-651-0088 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag