かつて歌謡曲のフレーズのなかにしばしば登場した夜汽車。夜汽車は、夜行列車のことで、全盛時代には東京〜鹿児島を32時間ほどかけて走るという夜行急行列車も存在しました。そんな夜行列車ですが、定期列車として残るのは「サンライズ瀬戸・出雲」のみ。どうして夜行列車は消えていったのでしょう?
理由その1:「飛行機・高速バスとの戦い」に負けたから
寝ている間に目的地に移動できることが最大のメリットの夜行列車。
その始まりは明治時代まで遡り、鉄道網の整備とともに、東京、名古屋、大阪、京都、札幌、福岡など主要都市を夜に出発する列車の運転が始まりました。
その後、全国のローカル空港が整備され、飛行機での移動が大衆化すると、夜行列車での移動する価値が減少。
さらに高速道路網の整備で、高速バスの夜行便に価格競争でも負けるようになり、夜行列車を走らせる需要がなくなったことが最大の原因です。

それが証拠にJRグループのバス会社も「ドリーム号」を走らせ、路線によっては週末などには増便するほどの人気を博しているのじゃよ。夜行列車は、とても値段では太刀打ちできんのう。

理由その2:保線などのメンテナンスが大変だから
夜行列車を走らせると、途中の停車駅、信号停車などを含めて、運行に携わる駅の要員が必要となります。
さらにいえば、夜間に保線を行なうことが多いので、保線などメンテナンス作業に支障をきたす場合もあります。
近年、夜行列車、夜行バスは再注目されていますが、最大の理由は、宿泊費の高騰です。
地方都市を含めて全国にビジネスホテル、ビジネス旅館が普及したことで、人員と車両を割いて夜行列車を走らせるという意義がJR各社に見いだせなくなっているのです。

車両の老朽化による廃車で対応する車両が失われ、新造する場合のコストを考えると、見合わないというのが現状。
現行の「サンライズ瀬戸・出雲」もそろそろ耐用年数を迎えるので、今後、どうなるかが心配なのじゃ。

理由その3:JRが6社に分割されているから
国鉄が分割民営化したのは昭和62年4月。
昭和50年代にはブルトレブーム(ブルートレインのブーム)も巻き起こりましたが、ブーム真っ只中の昭和55年には大部分の夜行列車、ブルートレインは廃止されています。
昭和59年には寝台特急「さくら」・「みずほ」に個室寝台車「カルテット」の連結、寝台特急「はやぶさ」にロビーカーを連結するなど、国鉄も高級化路線で夜行列車の存続を図っています。
さらに分割民営化後の昭和63年には津軽海峡トンネル(津軽海峡線)が開通したことを受け、寝台特急「北斗星」の運転を開始。
バブル景気を背景に、その豪華さで人気を集め、「トワイライトエクスプレス」、「カシオペア」も誕生しています。
それが最後の花となり、平成27年3月14日のダイヤ改正で、最後まで残っていた「北斗星」が定期運行を終了したのです。
JRの会社をまたいでの運行は、乗務員の交代なども必要で、大きなネックとなります。
両社に大きなメリットがなければ、あえて運転しようということにはならないのです。

あまり知られておらんのじゃが、北陸新幹線も長野駅で乗務員が交代しているんじゃ。
長い区間をしかも深夜から早朝に列車を走らせるには、JR各社の連携も必要となるんじゃ。

| 【旅博士の解説】夜汽車は死語に! 夜行列車はなぜ消えた!? | |
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