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常楽寺

常楽寺

長野県上田市別所温泉にある天台宗の古刹が常楽寺(じょうらくじ)。寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)、本堂の裏手から、北向(きたむき)観世音菩薩が現れたとされ、円仁(慈覚大師)が開創したと伝えられています。 北向観音堂の本坊。鎌倉時代には、京の名僧をも輩出した塩田平の仏教文化の中心的な存在でした。

信州で随一の学問寺として発展

国の重要文化財に指定される石造多宝塔

文治元年(1185年)、源頼朝は、有力御家人の惟宗忠久(これむねのただひさ=島津氏の祖、島津忠久)を島津荘(大隅国・薩摩国・日向国にまたがる壮大な荘園)とともに塩田庄の地頭に配していることから、頼朝が塩田平を重視していたことがわかり、これが「信州の鎌倉」の出発点。
北条氏は、3代執権・北条泰時の弟、北条重時(ほうじょうしげとき)を信濃国の守護に任命。
塩田平は、信濃における学問・宗教の一大中心地として繁栄し、多くの学僧が集い、「信州の学海」と称されていました。
南禅寺を開山した無関普門(むかんふもん)も塩田平に学んでいます。
常楽寺は、安楽寺、長楽寺(江戸時代に廃絶)とともに「三楽寺」と呼ばれ、その中心的な存在で、信濃国で最初の禅寺として安楽寺を中興した樵谷惟仙(しょうこくいせん)も常楽寺(天台宗)に学んだ後、宋(中国)に渡っています。

元和7年(1694年)、長楽寺が廃絶すると、北向観音堂の別当として管理も担うようになりました。

本堂裏手の杉木立ちのなかにある高さ274cmの苔むした石塔、石造多宝塔は、「信州の学海」全盛期の弘長2年(1262年)の銘があり、国の重要文化財に指定されています。

また「常楽寺美術館」も併設されており、徳川家康が慶長7年(1612年)に書写した徳川家康日課念仏(「南無阿弥陀仏」の名号を日課として書きつらねたもの)や、葛飾北斎(かつしかほくさい)が描いたとされる「劉備壇渓渡河図」絵馬、棟方志功の版画、北原白秋の原稿、北向観音堂に奉納された絵馬など、貴重な書画の鑑賞が可能。

常楽寺
名称 常楽寺/じょうらくじ
所在地 長野県上田市別所温泉2347
関連HP 常楽寺公式ホームページ
電車・バスで 上田交通別所線別所温泉駅から徒歩10分
ドライブで 上信越自動車道上田菅平ICから約18km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 常楽寺 TEL:0268-38-1234
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

安楽寺

長野県上田市、「信州の鎌倉」と呼ばれる塩田平・別所温泉にある曹洞宗の古刹が安楽寺(あんらくじ)。鎌倉時代、臨済宗の僧・樵谷惟仙(しょうこくいせん)中興で、禅寺として信州最古の寺。鎌倉時代中期にはすでに鎌倉の建長寺に相当する大規模な寺となり、

大法寺

長野県小県郡青木村にある天台宗の古刹が大法寺。8世紀初頭、律令時代の始まりとともに、朝廷と東国を結ぶ令制東山道(りょうせいとうざんどう)の浦野駅(うらののうまや=現・青木村当郷の浦野駅跡公園)が近くにあったこともあり、その駅寺だったと推測で

前山寺

「信州の鎌倉」といわれる長野県上田市の塩田平を代表する真言宗智山派の名刹、前山寺(ぜんさんじ)。寺伝によれば、弘仁3年(812年)、空海(弘法大師)が護摩修行の霊場として開基と伝えられます。「未完成の完成の塔」と称される三重塔は、国の重要文

北向観音堂

長野県上田市の別所温泉にある天台宗の寺、北向観音堂(きたむきかんのんどう)。別所温泉にある天台宗の名刹、常楽寺が本坊で、南を向く善光寺と向かいあって北を向いているため、この名があります。現世利益のこの観音様と、阿弥陀様を祀る来世利益の善光寺

 

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