長野県塩尻市奈良井(旧楢川村)と木祖村の境をなす、鳥居峠。標高1197mの鳥居峠は、木曽川水系と信濃川水系を分ける中央分水嶺で、街道時代には中山道・木曽路の難所のひとつにも数えられていました。奈良井宿から薮原宿までの旧中山道は、信濃路自然歩道に指定され、無雪期なら峠越えのハイキングが楽しめます。
峠越えの中山道には石畳も現存
奈良時代、美濃国と信濃国の境で恵那山の肩を越えて伊那谷に出た東山道(都と東国を結ぶ官道)の神坂峠(みさかとうげ)越えが、あまりの難所ということから、木曽谷を遡行し、鳥居峠を越える吉蘇路(きそじ)が官道となるように付け替えられました。
東山道時代、峠の名は、県坂峯(あがたさかみね)と呼ばれていましたが、戦国時代の初め、木曽谷を支配した木曽義元(きそよしもと)が戦勝祈願のため、峠に鳥居を建立したことから鳥居峠と呼ばれるようになりました。
中央分水嶺という要衝にあることから、戦国時代の天文18年(1549年)には甘利左衛門を大将とする武田晴信(後の武田信玄)軍と木曽谷を領有した木曽義康(きそよしやす)軍が鳥居峠で衝突する「鳥居峠の合戦」の戦場にもなっています。
さらに天正10年(1582年)には武田勝頼軍も鳥居峠を越え、青木ヶ原で激戦を展開しています。
江戸時代、御嶽信仰(神仏習合の山岳信仰)の隆盛とともに、鳥居峠には御嶽山の遥拝所が設けられ(遥拝所は鎌倉時代ころからあったという説もあります)、頂から御嶽を仰ぐ地ともなりました(現在も御嶽山の遥拝所があります)。
松尾芭蕉は、貞享元年(1684年)の『野ざらし紀行』で鳥居峠を越え(『野ざらし紀行』では木曽路は割愛されています)、さらに元祿元年(1688年)の『更科紀行』で再度、峠を越えて「木曽の橡(とち)浮世の人の土産かな」、「雲雀(ひばり)よりうえにさすらふ嶺かな」の句を残しています(峠には芭蕉句碑が立っています)。
渓斎英泉の描いた『木曽街道六拾九次』木曽海道薮原鳥居峠硯ノ清水にも左隅に芭蕉句碑が描かれています。
鳥居峠周辺にはトチが茂り、「鳥居峠のトチノキ群」として木祖村の天然記念物にも指定。
奈良井宿側の峠入口には石畳の道が復元され、街道ムードも盛り上がります。
奈良井宿から峠までは4km、徒歩1時間40分。
峠から薮原宿は4km、徒歩1時間40分の道程。
旧中山道を歩く場合にはツキノワグマも出没するので、なるべくグループで行動を。
鳥居峠には明治23年に開通した馬車道幅の旧国道も通っているので、旧国道をドライブするという手もありますが、幅員の狭いダートで歩行者も多いので運転は慎重に。
鳥居峠 | |
名称 | 鳥居峠/とりいとうげ |
所在地 | 長野県塩尻市奈良井 |
関連HP | 塩尻市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR奈良井駅から徒歩1時間40分 |
ドライブで | 長野自動車道塩尻ICから約28km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 奈良井宿観光案内所 TEL:0264-34-3160/FAX:0264-24-0024 |
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