長崎県長崎市館内町にある長崎の居留地時代の歴史と文化を今に伝えるのが、旧唐人屋敷・福建会館。明治元年に中国・福建省の泉州出身者により創設された八閩会所(はちびんかいしょ)がルーツで、明治30年に改装され、福建会館と改称されています。
福建省出身者の集会所・八閩会所がルーツ
元禄2年(1689年)、唯一の国際貿易港だった長崎・出島で通訳、貿易商などとして活躍する唐人たちが、入港時に生活する屋敷として築かれたのが唐人屋敷(長崎奉行所の支配下)。
薬種、砂糖、織物、陶磁器が長崎港に運び込まれ、唐人たちは帰港の日まで唐人屋敷で暮らしたのです。
安政6年(1859年)の開国後は廃屋となりましたが、居留地となったことで八閩会所、三江会所、嶺南会所などという集会所が築かれました。
八閩とは、福建省のこと(福州、建州、泉州、漳州、汀州、南剣州の6州と邵武軍、興化軍の2軍に分かれた8つの行政区に区分されていました)で、八閩会所はまさに福建会館の意。
三江会所の三江も江南、浙江、江西の3省で、明治11年に三江会を設立し、興福寺に事務所を置いていました(興福寺三江会所門のみ現存)。
嶺南会所は後の広東会所で広東省出身者の集会所です。
福建会館本館の建物は、残念ながら原爆により倒壊したため、正門と、明治39年に全国の華僑の寄付で建てられ天后堂(てんこうどう)のみが現存。
天后堂は関帝(『三国志』関羽)も併祀しているため、関帝堂とも呼ばれています。
正門は三間三戸の薬医門(やくいもん)で主要な造りは和様で、長崎市の有形文化財に指定。
天后堂は、中国式を基調とする和洋折衷で、ともに中国との交流の歴史が凝縮された建造物になっています。
福建会館に「中国革命の父」孫文の像が立てられていますが、孫文は明治30年に来崎したのを皮切りに9回も長崎を訪れています。
その背景には、明治28年3月13日、長崎出身の貿易商・梅屋庄吉との香港での出会いがあり、梅屋庄吉による武器、弾薬の調達などの資金援助、海外脱出への手助けなどがあったのです。
辛亥革命90周年を迎えた平成13年、日中友好のシンボルとして上海市から長崎県民に孫中山銅像(孫文は孫中山先生と呼ばれています)が贈られ、福建会館に建立されたものです。
ちなみに媽姐神とは、道教の神で、媽姐菩薩や天后聖母などとも呼ばれ、航海の守り神といわれている。
旧唐人屋敷・福建会館 | |
名称 | 旧唐人屋敷・福建会館/きゅうとうじんやしき・ふっけんかいかん |
所在地 | 長崎県長崎市館内町 |
関連HP | 長崎市公式ホームページ |
電車・バスで | JR長崎駅から路面電車で6分、築町下車、徒歩10分 |
ドライブで | 長崎自動車道長崎ICから約4km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 長崎市文化財課 TEL:095-829-1193 |
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