旧唐人屋敷・観音堂

旧唐人屋敷・観音堂

中国・清朝の対日政策の変更による唐船(中国商船)の往来の増加による密貿易対策として、元禄2年(1689年)、長崎各地に住んでいる中国人を集めて造られた外国人居留地が、唐人屋敷。その遺構のひとつが旧唐人屋敷・観音堂で、瓢簟池(ひょうたんいけ)の奥の石に刻まれた文字から、元文2年(1737年)の建立と判明しています。

観世音菩薩と関帝を祀る寺

現存する建物は、大正6年、当地の華商・鄭永超が改築したもの。
本堂には観世音菩薩と関帝が安置されています。
入口にあるアーチ型の石門は、唐人屋敷時代のものと推定される貴重な遺構です。

旧唐人屋敷・観音堂
名称 旧唐人屋敷・観音堂/きゅうとうじんやしき・かんのんどう
所在地 長崎県長崎市館内町5-14
関連HP 長崎市公式ホームページ
電車・バスで JR長崎駅から路面電車で6分、築町下車、徒歩10分
ドライブで 長崎自動車道長崎ICから約4km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 長崎市文化財課 TEL:095-829-1193
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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