長崎県長崎市、安政5年(1858年)の5ヶ国と結んだ修好通商条約により自由貿易港となった長崎に設けられた外国人居留地を前身とする歴史的景観が、長崎市東山手伝統的建造物群保存地区(ながさきしひがしやまてでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)。
居留地時代に「領事館の丘」と呼ばれたエリア
ポルトガル、ベルギー、イギリスなどの領事館、礼拝堂、住宅が建てられた東山手地区には、オランダ坂の石畳や煉瓦塀、明治から大正時代の洋風建築などが歴史的景観を形成し7.5haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
国の重要文化財に指定された東山手十二番館と旧英国領事館、長崎市文化財に指定された7棟(東山手洋風住宅A棟〜G棟)の木造洋風住宅(明治時代中期の築)が残る東山手洋風住宅群などが現存しています。
洋風住宅(擬洋風建築)は海に向かって開放的なべランダを付けているのが特徴で、居留地時代の雰囲気を色濃く残す貴重な建物になっています。
東山手洋風住宅B棟は、無料施設の「東山手地区町並み保存センター」として再生され、長崎市東山手伝統的建造物群保存地区のガイダンス施設に。
保存地区の範囲は、丘陵の東山手町の大部分と、海岸寄りの大浦町を一部含む区域で、今も旧居留地の地割りが残されています。
有名なオランダ坂は「日本三大がっかり名所」に数えられることもありますが、周囲には洋風建築が残され、居留地時代を今に伝える貴重な坂道。
「東山手地区町並み保存センター」で、周辺の歴史などをインプットすれば、「がっかり」することはないはずです。
長崎市南山手伝統的建造物群保存地区もかつての居留地ですが、東山手が「領事館の丘」と呼ばれたように公的機関が建っていたことに対し、旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅が現存しているように主として住宅地として使われていた区域が南山手です。
長崎の外国人居留地は、天草出身の北野織部(きたのおりべ=小山家の三男)、小山秀之進(こやまひでのしん=小山家の八男)の主導で、突貫工事で安政7年(1860年)に完成。
大浦海岸一帯1万8525坪を埋め立て、その周辺と背後の山手を含めて3万4652坪の宅地などを、人力で開発したのです。
明治9年、長崎では横浜などに先駆けて居留地の返還が行なわれ、日本側の行政権が回復して事実上は居留地でなくなっています。
長崎市東山手伝統的建造物群保存地区 | |
名称 | 長崎市東山手伝統的建造物群保存地区/ながさきしひがしやまてでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく |
所在地 | 長崎県長崎市東山手町 |
関連HP | 長崎市公式ホームページ |
電車・バスで | 路面電車(長崎電気軌道)石橋電停から徒歩4分 |
ドライブで | 長崎自動車道長崎ICから約4km |
駐車場 | 市営松が枝町第2駐車場(94台/有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 長崎市文化観光部文化財課 TEL:095-829-1193/FAX:095-829-1219 |
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