鎖国時代の長崎にはオランダ人の住む出島のほかに、中国人(唐人)の居住する唐人屋敷と呼ばれる居留地がありました。その跡地が旧唐人屋敷(館内地区)。中国・清朝が積極的に貿易船(唐船)を日本に送るようになると、密貿易は悩みの種となりました。その対策として、元禄2年(1689年)、に建てられたのが唐人屋敷です。
江戸時代の日中貿易を支えた唐人たちの居留地
十善寺郷幕府御薬園の土地を利用し、周囲を堀で囲みさらに、練塀を施すという砦のような構造でした。
市中に散在していた唐人はすべてここに集められ、門も2ヶ所と厳しい監視を受けたのです。
中国から貿易船が入ると唐人たちはほんの手回り品のみで入館し、帰港の日までここで暮らしました。
天明4年(1784年)の大火で関帝堂を残して全焼し、その後は唐人独自の建物も建造されるようになっていきました。
現在、興福寺境内にある重要文化財の旧唐人屋敷門はこの大火後の建築物。
江戸時代の長崎の人口は6万人ほどで、そのうち1万人が中国人だったと推測されるので、江戸幕府の対外貿易は長崎在住の中国人が支えたといっても過言ではありません(オランダよりも対中国貿易のほうが貿易額も上回っています)。
安政6年(1859年)の鎖国政策の廃止、開国後に中国人は新地などへと移り住み、唐人屋敷は廃屋化し、明治3年に焼失。
現在の建物はその後に華僑達が再建したもの。
出島は有名ですが、唐人屋敷も長崎を知る上でぜひ見学をしたい施設です。
館内は「居留地の内」の意で、中国人居留地のこと
館内とは居留地のなかという意味で、横浜の関内と同義語。
現在の館内地区がほとんど昔の唐人屋敷で、地区内には市指定史跡の土神堂、天后堂、観音堂が残るほか、西縁には唐人屋敷時代の堀が現存しています。
広馬場商店街の看板を掲げたアーチがある場所がかつての唐人屋敷の大門。
四海楼ガレージがある場所が長崎ちゃんぽんの元祖「四海楼」があった場所です。
旧唐人屋敷(館内地区) | |
名称 | 旧唐人屋敷(館内地区)/きゅうとうじんやしき(かんないちく) |
所在地 | 長崎県長崎市館内町 |
関連HP | 長崎市公式ホームページ |
電車・バスで | JR長崎駅から路面電車で6分、築町下車、徒歩10分 |
ドライブで | 長崎自動車道長崎ICから約4km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 長崎市文化財課 TEL:095-829-1193 |
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