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掛木古墳

掛木古墳

長崎県壱岐市勝本町、壱岐古墳群として国の史跡に指定される6基の古墳のひとつで、6世紀後半~7世紀前半頃に築造された円墳が掛木古墳。現在は南北22.5m、東西18m、高さ7m程度ですが、築造当時は直径30mほどの巨大な円墳だったと推測されています。

「壱岐風土記の丘」近くにある巨大な円墳

「壱岐風土記の丘」にもっとも近接する古墳で、壱岐風土記の丘駐車場の奥に位置しています。
壱岐古墳群(国の史跡)を構成するのは、掛木古墳のほか、対馬塚古墳、笹塚古墳、兵瀬古墳、双六古墳、鬼の窟古墳の合計6基で、壱岐古墳群の出土品は、壱岐市立一支国博物館が収蔵展示されています。

石室は、前室・中室・玄室の三室の複室構造で、全長13.6mの横穴式石室。
玄室には島内唯一の刳抜式石棺( くりぬきしきせっかん=大きな石をくり抜いて造った石棺)がそのまま残され、屋根の形をした蓋も現存。
掛木古墳は、青銅鏡、金銅製環状耳飾(こんどうせいかんじょうみみかざり)、鉄製轡(てつせいくつわ)、金環(きんかん)、畿内系の土師器(はじき)などが出土し、その規模から、ヤマト王権と密接な関係のあった壱岐氏(いきうじ)一族の墓で、笹塚古墳や鬼の窟古墳などの被葬者とつながりをもつ有力者だったと推測できます。

壱岐島には長崎県の半数に及ぶ古墳265基が残存し、ヤマト王権、朝鮮半島・新羅の双方から壱岐島が外交上の拠点として重要視され、古代の豪族が対新羅との交易、防衛に従事していたと推測されます。

掛木古墳
名称 掛木古墳/かけぎこふん
所在地 長崎県壱岐市勝本町布気触掛木323
関連HP 壱岐市観光連盟公式ホームページ
電車・バスで 郷ノ浦港からタクシーで15分
ドライブで 郷ノ浦港から約8.9km
駐車場 壱岐風土記の丘駐車場を利用
問い合わせ 壱岐風土記の丘 TEL:0920-43-0809
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

笹塚古墳

長崎県壱岐市勝本町、壱岐島中央部の高台にある壱岐古墳群として国の史跡に指定される6基の古墳のひとつで、6世紀後半~7世紀前半頃に築造された円墳が笹塚古墳。直径66m、高さ13m、石室全長15mという長崎県内最大級の円墳で、森の中に位置し、石

双六古墳

長崎県壱岐市勝本町、壱岐島のほぼ中央、壱岐を南北に縦断する国道382号近くにある前方後円墳が双六古墳(そうろくこふん)。壱岐古墳群として国の史跡に指定される6基の古墳のひとつで、墳丘長91mは、長崎県下最大の前方後円墳となっています。長崎県

大塚山古墳

壱岐島のほぼ中央、長崎県壱岐市芦辺町にある直径14m、高さ2mの円墳が大塚山古墳。『魏志倭人伝』に記載される「一支国」の王都、原の辻遺跡近くに築造される古墳時代中期の5世紀後半頃の古墳。壱岐の古墳ではもっとも初期の築造のため、弥生時代勢力の

鬼の窟古墳

長崎県壱岐市芦辺町、壱岐島中央部の高台にある壱岐古墳群として国の史跡に指定される6基の古墳のひとつが鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)。6世紀後半~7世紀前半頃に築造された直径45m、高さ13.5mの円墳で、前室・中室・玄室の3室を持つ横穴式

対馬塚古墳

長崎県壱岐市勝本町、壱岐古墳群として国の史跡に指定される6基の古墳のひとつが対馬塚古墳(つしまづかこふん)標高100mほどの丘陵尾根部に築造された墳丘長63mの前方後円墳で、壱岐では双六古墳(そうろくこふん)に次いでで2番目に大きい前方後円

兵瀬古墳

長野県壱岐市芦辺町、壱岐島中央部の高台にある壱岐古墳群として国の史跡に指定される6基の古墳のひとつが兵瀬古墳(ひょうぜこふん)。標高105mほどの丘陵尾根部に築造された直径53.5m、高さ13mの巨大な円墳で、玄室・中室・前室の3室と羨道で

百田頭古墳群

長崎県壱岐市芦辺町、古代の壱岐国の中心地だったと推測できる国分本村にある直系10m〜20mの円墳8基で構成される古墳群が百田頭古墳群(ひゃくたがしらこふんぐん)。鬼の窟古墳、兵瀬古墳など壱岐島内の最大規模の円墳が集中する北側にあり、小さい規

壱岐風土記の丘

長崎県壱岐市勝本町にある戸時代の壱岐の古民家が復元された歴史体感ミュージアムが壱岐風土記の丘。郷ノ浦港から国道382号を勝本方面へ車を走らせていると、古い民家が点在しているところがあり、これが壱岐風土記の丘。敷地内にある古民家は、江戸中期の

 

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