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小田急「ロマンスカー・SE(3000形)」は、新幹線誕生にも貢献! 

ロマンスカー・SE(3000形)

小田急のロマンスカー・SE(3000形)は、一般車への転用を想定しない高性能な特急専用車両として「新宿~小田原間を60分で結ぶ」という目標のもとに、国鉄の鉄道技術研究所と共同で開発した車両。実は高速鉄道(後の新幹線)の実現に向けての実験走行にも使われていて、新幹線誕生にも貢献しています。

「新幹線のルーツ」といわれる先駆け的な特急

ロマンスカーミュージアムに静態保存されるロマンスカー・SE(3000形)

戦前に阪和電気鉄道が阪和天王寺駅〜東和歌山駅(61.2km)を45分で結び、表定速度は81.6 km/hに達していました。
戦争で荒廃した小田急の鉄道施設を復旧させ、新宿駅〜小田原駅(82.8km/当時)を表定速度で82.8kmで走行すれば、理論的には60分で結ぶことができることから、「画期的な軽量高性能新特急車」を構想したのです。

独自の開発は無理があったので、航空技術を鉄道に応用した超高速車両開発に乗り出していた国鉄・鉄道技術研究所の技術協力を得て、開発に取り組んだのがロマンスカー・SE(3000形)。
先頭部の形状が、当時としては斬新な流線形なのは、航空技術を応用した当時の最新技術を用いて、空気抵抗を低減化したため。

車両間に台車を配置した連接構造や、車体のフレームと外板を一体化したモノコック構造を採用し軽量化を実現しています。

小田急電鉄に取締役運輸担当として就任した山本利三郎(やまもとりさぶろう=九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、鉄道省に入省)は、東京鉄道局電車掛長時代の昭和10年には、すでに東京駅〜沼津駅に流線形連接構造の軽量高速電車を走らせるという内容の「関節式新電車ニ就イテ」を発表していました。
スペインで開発された連接車であるタルゴ(Talgo/昭和25年7月14日に営業運転開始)の存在を知り、連接構造の採用を確信したのです。

東海道本線における高速試験では、当時の狭軌鉄道での世界最高速度145km/hの記録を樹立したのです。
こうして小田急に「画期的な軽量高性能新特急車」が誕生したわけですが、新幹線開発に引き継がれた技術も数多く、「新幹線のルーツ」ともいわれる存在になっています。

当時はまだ、流線型の電気機関車牽引に客車を引かせれば、東京〜大阪は4時間45分で結ぶことも可能という時代で、高速で電車特急を走らせるということだけでも斬新だったということに。

昭和29年に国鉄は新宿から貨物線(品鶴線)経由で新宿駅 – 熱海駅間に準急「あまぎ」を運転するなど、小田急とはライバル関係にありましたが、国鉄OBの山本利三郎の人脈で、国鉄との共同開発が実現、日本の高速鉄道の第一歩を踏み出したのです。

小田急内では、流線型で運転席が飛び出す形なので、運転士の安全性が保てないとか、ホームから座席を見下ろす形になるのは良くないとかのクレームも多く、開発中断となりつつあったので、準急「あまぎ」の登場は、対抗策としての特急誕生の後押しにもなりました。

こうして小田急「ロマンスカー・SE(3000形)」は昭和32年7月6日に運用開始。
平成4年3月8日に引退するまで、箱根特急、江ノ島特急として活躍しました。
SEは、Super Expressの略称です。

小田急が運営する「ロマンスカーミュージアム」(神奈川県海老名市)に保存されていますが、保存状態がいいため、2023年8月7日(月)に一般社団法人日本機械学会の「機械遺産」に認定されています。

ロマンスカー・SE(3000形)の運転席
小田急「ロマンスカー・SE(3000形)」は、新幹線誕生にも貢献! 
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

ロマンスカーミュージアム

神奈川県海老名市、小田急線小田原線・相鉄本線海老名駅に隣接する地に、令和3年4月19日にオープンのロマンスカーミュージアム。小田急電鉄としても開業以来初となる屋内常設展示施設で、開業当時の車両であるモハ1の展示など、ロマンスカーの魅力が詰ま

 

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