先史時代の人々が、日常生活で大量に廃棄される貝殻などが堆積した場所が、貝塚(shell midden)。日本国内にある縄文時代の貝塚は2500ヶ所ほどが発見されていますが、文献などの記録に残る「世界最古の貝塚」は、関東平野にあります。しかも貝塚密集地の東京湾沿いではなく、茨城県に。
内陸部にあるので、海まで手が届く巨人伝承も誕生
日本の酸性土壌では、本来なら捨てられた貝殻も溶けてなくなってしまいますが、貝殻の炭酸カルシウム成分が中和され、大量に投棄された場所は貝塚として残存しています。
貝塚が見つかっているのは東京湾沿いなど、開発が進んだ場所。
まだまだ知られざる貝塚は国内各所に眠っているのです。
記録に残される最古の貝塚は、奈良時代初期、和銅6年(713年)に編纂された『常陸国風土記』(ひたちのくにふどき)の「那賀略記」に記載された「大櫛之岡」(おおくしのおか)。
常陸国の那賀郡(なかのこおり=現・茨城県那珂郡一帯)の部分に、ここに住む巨人(背丈の長い人)が丘の上から遠く離れた海に手を差し伸べてハマグリを採取し、その貝殻が丘になった旨の記述があるのです。
温暖な縄文時代には海面上昇によって、関東平野のかなり奥まで海が入り込んでいましたが(縄文海進)、奈良時代にはすでに海は退行していたので、かつて常陸国も海岸線があり、大ハマグリ(原文では「蜃」・うむぎと読み大ハマグリのこと)を採取できたとは想像ができず、巨人の仕業と考えたのです。
茨城県には長野県などと同様に「ダイダラボウ(ダイダラボッチ)伝承」(巨人伝説)が残されていますが、このダイダラボウ(ダイダラボッチ)がいただろうという推測の始まりは、こうした貝塚の発見だったのかもしれません。
小説家・松本清張は、昭和45年、この大櫛之岡の巨人伝説を題材に、小説『巨人の磯』を著しています。
この『常陸国風土記』に記載された「大櫛之岡」は、水戸市塩崎町大串貝塚に比定され、「大串貝塚ふれあい公園」として整備された公園内には、伝説の巨人・ダイダラボウ(大太郎坊)の像が立っています。
地名も、食べた貝は朽ちて積もり、丘となったことで、大朽(おおくち)。
それが転じて、奈良時代には大櫛、現在は大串ということに。
大串貝塚は、世界最古の文献に残る貝塚ですが、貝塚と巨人伝説が結びついた日本唯一の貝塚でもあり、民俗学的にも注目されています。
「巨人伝説を目玉にしよう」と築かれたのが、ダイダラボウ(大太郎坊)の像というわけなのです。
隣接して「水戸市埋蔵文化財センター」があるので、ぜひお立ち寄りを。
ちなみに、縄文時代の貝塚には、食べた貝殻を単に捨てる「ゴミ捨て場」ではなく、すべての生き物の墓場という少し信仰的な要素を含んだ場所というのが近年の考え方です。
つまりは、狩猟で得た動物の霊魂を鎮めるための場ということに。
文献に記載される「世界最古の貝塚」は、関東の内陸に! | |
所在地 | 茨城県水戸市塩崎町1064-1 |
場所 | 大串貝塚ふれあい公園 |
電車・バスで | 大洗鹿島線常澄駅から徒歩30分 |
ドライブで | 北関東自動車道水戸大洗ICから約1km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 大串貝塚ふれあい公園(埋蔵文化財センター) TEL:029-269-5090/FAX:029-269-5090 |
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