沖縄県八重山郡竹富町、波照間島(はてるまじま)の玄関港・波照間港(波照間漁港)の東にある城(ぐすく)が、下田原城(しもたばるじょう)。第二次世界大戦の戦禍を受けていないため、1429年に琉球王国統一の歴史を示す貴重な遺跡として、国の史跡になっています。
日本最南端の有人島にある、最南端の城跡
昭和47年5月15日の沖縄諸島の日本復帰直後に、老人会の寄付により地元の手で「ぶりぶち公園」として整備されましたが、現在は荒廃し、亜熱帯ジャングルの様相を呈しています。
城郭の規模は東西150m、南北100mほどで、琉球王国統一前、首里城誕生時の14世紀半ば頃に築城されたもの。
珊瑚性石灰岩が野面積み(のづらづみ)になった隆起サンゴ礁の島特有の石垣が現存しています。
近くには下田原貝塚があり、八重山考古学における文化期の名称「下田原期」としても使用される元になった貝塚で、この時期を代表する「下田原式土器」の標式遺跡となっています。
日本史では縄文時代の後期にあたりますが、八重山諸島では縄文文化の影響を受けず、南方の地域がルーツとされる固有の文化を展開しているのです。
波照間島では、当時食料としていたイノシシが生息していないため、出土した石器やイノシシ骨などは、西表島や石垣島(同じ南琉球文化圏を形成)から持ち込まれた可能性が大。
そして中世になり、グスク時代から三山時代への移行期、首里城誕生の時代に築かれたのが、下田原城ということになります(本土は南北朝時代にあたり、中国は強大な明国です)。
下田原城 | |
名称 | 下田原城/しもたばるじょう |
所在地 | 沖縄県八重山郡竹富町波照間 |
関連HP | 竹富町公式ホームページ |
電車・バスで | 波照間港から徒歩20分 |
ドライブで | 波照間港から約1.5km |
問い合わせ | 竹富町観光協会 TEL:0980-82-5445/FAX:0980-82-5472 |
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