7世紀後半、百済(くだら)の16代・辰斯王(4世紀末)の王子で日本に帰化した辰孫王の子孫、葛井連広成(ふじいのむらじひろなり=白猪史広成・しらいのふひとひろなり) が当時の天皇の仏教興降政策に協力して創建と伝えられる古刹が大阪府藤井寺市の葛井寺(ふじいでら)。全国の藤井さんのルーツでもある寺です。
ぜひ見に行きたい『藤まつり』
神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願によって七堂伽藍を整えています。
藤井寺という地名はもちろんこの寺に由来するもの。
平安時代以降、今日まで西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の第5番札所として多くの人の信仰を集めてきました。
聖武天皇の勅願により安置され、行基が開眼と伝えられる本尊の「乾漆千手観音菩薩座像」は大阪府下で唯一の天平時代の仏像として昭和13年に国宝指定を受けています。
本尊は毎月18日に開扉、公開され本堂内部とともに拝観可能。
近世は豊臣家・徳川家の庇護を受け、四脚門は、慶長6年(1601年)、豊臣秀頼が寄進したもので国の重要文化財。
4月の下旬頃には『藤まつり』が行なわれ(開花にあわせて実施されるため変動します)、境内の5ヶ所にある藤棚が美しい紫色に染まります。
その後に咲き始める白い藤も、訪れる人の目を楽しませてくれます。
境内に残る礎石は葛井連広成が開いた創建初期のものと伝えられています。
寺蔵の絵図や『河内名所図会』(かわちめいしょずえ)から、東西に塔をもつ薬師寺式の伽藍配置だったことが判明。
4世紀後半から6世紀にかけての古墳は、大陸伝来の横穴式石室を採用したものもあり、帰化人の文化を感じさせます。
葛井氏のルーツも、王辰爾(おうじんに、王智仁)を祖とする白猪史(しらいほふひと)とされています(『続日本紀』養老4年5月の条に、「白猪史の氏を改めて葛井の姓を賜ふ」とあります)。
河内(かわち)は葛井氏のほか、西文(かわちのふみ)氏、船氏、津氏、馬氏など帰化人の多くが住みついた地と推定されているのです。
難波より飛鳥に至る大道(おおじ)として整備された大津道(長尾街道)が通じていますが、これは現在の大阪府道12号(堺大和高田線)とほぼ一致。
葛井寺もこの府道12号から南へ500mしか離れていません。
この大津道を通って大陸から渡来した文化は飛鳥へと運ばれたのです。
西国三十三所霊場間の距離・時間
4番・槇尾山施福寺(槇尾寺/大阪府和泉市槇尾山町136) — (26km/1時間10分) — 5番・紫雲山葛井寺(大阪府藤井寺市藤井寺1丁目) — (34km/1時間) — 6番・壺阪山南法華寺(壺阪寺/奈良県高市郡高取町壺阪3)
※距離と時間はルートや交通状況により変動するため、およその目安です
葛井寺 | |
名称 | 葛井寺/ふじいでら |
所在地 | 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21 |
関連HP | 葛井寺公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄南大阪線藤井寺駅から徒歩5分 |
ドライブで | 西名阪自動車道藤井寺ICから約1.5km |
駐車場 | 35台/有料 |
問い合わせ | 葛井寺 TEL:072-938-0005/FAX:072-952-1111 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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