大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内で京橋口から二の丸に入ったところにある京橋門枡形虎口に配される巨石が、肥後石。大阪城公園で、本丸正門・桜門の蛸石に続いて第2位となる大きさで、肥後という名が付いてはいますが、岡山藩藩主・池田忠雄(いけだただかつ)が担当した石です。
岡山藩藩主・池田忠雄が小豆島から運んだ巨石
大阪城の巨石、上位10位のうち、蛸石、肥後石、振袖石のTOP3など7つの石は岡山藩藩主・池田忠雄(いけだただかつ=母は徳川家康の次女・督姫で、徳川家康の外孫)が担当して犬島(岡山市内唯一の有人離島)などから切り出したもの。
蛸石も寛永元年(1624年)、岡山藩藩主・池田忠雄の命で大坂城に運ばれたています。
肥後石は、蛸石、振袖石を産した犬島でなく、讃岐・小豆島で切り出したもの。
高さ5.5m、幅14.0mとサイズ的には蛸石と変わらぬ巨大さですが、表面の面積が蛸石が59.43平米あるのに対し、肥後石は54.17平米とわずかに小さいので、2位となっています。
大阪城の巨石ランキングは、昭和49年、大阪城天守閣館長・渡辺武さん(歴史学者で織豊時代研究の専門家)が発表したもので(その後、基準の変更により改訂版も発表)、以前は京橋口の肥後石が第1位とされていたのが、現在では蛸石に。
肥後(熊本)の加藤清正が置いたというのが名の由来ですが、元和6年(1620年)に始まった徳川幕府による天下普請での大坂城改修時は、すでに加藤清正は没しており、熊本藩主は加藤忠広(かとう ただひろ)なので、年代的にも合わないことに。
名古屋城本丸の清正石(名古屋城随一の巨岩)も、本来は黒田長政の担当でしたが、その巨大さ故に加藤清正が運んだという伝説を生んでいます。
ちなみに小豆島には香川県の史跡に指定される大坂城石垣石切・千軒丁場跡(千軒地区)、大坂城石垣石切・小瀬原丁場跡(小海地区平尾)、土庄町の史跡に指定される大坂城石垣石切・とびがらす丁場跡(小海地区)、大坂城石垣石切・宮ノ上丁場跡(小海地区)、大坂城石垣石切・北山丁場跡(小海地区)があり、大坂城へ大量の石が運ばれたことがわかります。
また、運びきれなかった巨石が残念石として残されています。
大坂城(大阪城公園)の巨石ランキング TOP10
順位 | 巨石の名称 | 場所 | 高さ | 幅 | 表面面積 | 担当藩主 |
1位 | 蛸石 | 桜門桝形虎口 | 5.5m | 11.7m | 59.43平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
2位 | 肥後石 | 京橋門桝形虎口 | 5.5m | 14.0m | 54.17平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
3位 | 振袖石 | 桜門桝形虎口 | 4.2m | 13.5m | 53.85平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
4位 | 大手見付石 | 大手門桝形虎口 | 5.1m | 11.0m | 47.98平米 | 熊本藩主・加藤忠広 |
5位 | 大手二番石 | 大手門桝形虎口 | 5.3m | 8.0m | 37.90平米 | 熊本藩主・加藤忠広 |
6位 | 碁盤石 | 桜門桝形虎口 | 5.7m | 6.5m | 36.50平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
7位 | 二番石 | 京橋門桝形虎口 | 3.8m | 11.5m | 36.00平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
8位 | 大手三番石 | 大手門桝形虎口 | 4.9m | 7.9m | 35.82平米 | 熊本藩主・加藤忠広 |
9位 | 四番石 | 桜門桝形虎口 | 6.0m | 5.0m | 26.90平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
10位 | 竜石 | 桜門桝形虎口 | 3.4m | 6.9m | 23.00平米 | 岡山藩主・池田忠雄 |
大阪城公園・肥後石 | |
名称 | 大阪城公園・肥後石/おおさかじょうこうえん・ひごいし |
所在地 | 大阪府大阪市中央区大阪城3-11 |
関連HP | 大阪城公園公式ホームページ |
電車・バスで | 大阪メトロ・京阪天満橋駅から徒歩10分 |
ドライブで | 阪神高速13号東大阪線森之宮出口から約800m |
駐車場 | 大阪城公園駅前駐車場(171台/有料)、森ノ宮駐車場(100台/有料) |
問い合わせ | 大阪城パークセンター TEL:06-6755-4146/FAX:06-6755-4149 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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