大阪府大阪市中央区、大阪城公園となっている大坂城本丸跡で、小天守台上の金明水井戸屋形とともに国の重要文化財に指定される江戸時代の遺構が、金蔵(きんぞう・かねぐら)。その名の通り、徳川幕府の金貨・銀貨の保管庫で、宝暦元年(1751年)に2階建ての長屋として創建され、天保8年(1837年)に平屋の金蔵に改造されています。
幕府年収の4割もの金銀銭を大坂城内に収蔵
腰壁部分が、漆喰(しっくい)と黒瓦を用いた美しいなまこ壁なのは、防火・防湿対策で。
内部は大小の2室あり、手前の大きな部屋に通常の出納用の金銀、奥の小さな部屋に非常用の金銀を置いていました。
収納された大判、小判などは長崎貿易の収益金、そして西日本にある天領(幕府直轄地)の年貢金で、金蔵には現在の価値に換算すると500億~800億円相当の大判や小判、銀、銅銭が常時収納されていたといわれています。
元禄16年(1703年)の記録によれば、入金高は金36万8000両、銀1万827貫、大判金48枚、銭754貫で、現在の貨幣価値に変換すると808億円という巨額になります。
荷重に耐えるため、床下は石敷きで、入口は二重の土戸と鉄格子戸の三重構造、小窓は土戸と鉄格子、床下の通気口にも鉄格子が嵌められています。
金蔵近くには、昭和59年に発見された豊臣時代の石垣があります。
もともとは金蔵の北西にももうひとつの金蔵があり、宝暦元年(1751年)に長屋を切断・改造して新たな金蔵として誕生したため、こちらを新金蔵、以前からのものを元金蔵と呼んでいましたが、元金蔵は明治25年、配水池建築のために新金蔵東に移設、昭和4年、陸軍が高槻工兵隊の敷地内に移築していますが戦災で焼失し、現存していません。
画像協力/公益財団法人大阪観光局
2度あった金庫からの盗難事件
厳重に管理されていたはずの大坂城の金蔵で、享保15年(1730年)、元文5年(1740年)の2回にわたり盗難事件が発生しています。
享保15年(1730年)の事件では、大坂御金奉行・冨士市左衛門が改易となり、多くの関係者が連座して遠島などの罪に処せられていますが、実行犯は見つからず、幕府の権威の失墜に。
元文5年(1740年)には、梶助という中間(ちゅうげん)が4000両もの大金を盗み出し、あまりに大金だったため、2回に分けて400両ずつ運び出し、残りの3200両を本丸御殿の床下に隠すという事件が生まれています。
犯行を自供した梶助は、市中引廻しの上磔に。
このときも大坂御金奉行など、担当者が処分されています。
大阪城公園・金蔵 | |
名称 | 大阪城公園・金蔵/おおさかじょうこうえん・きんぞう・かねぐら |
所在地 | 大阪府大阪市中央区大阪城3-11 |
関連HP | 大阪城公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR大阪城公園駅、JR・大阪メトロ森ノ宮駅から徒歩15分、大阪メトロ谷町四丁目駅から徒歩15分 |
ドライブで | 阪神高速13号東大阪線森之宮出口から約800m |
駐車場 | 大阪城公園駅前駐車場(171台/有料)、森ノ宮駐車場(100台/有料) |
問い合わせ | 大阪城パークセンター TEL:06-6755-4146/FAX:06-6755-4149 |
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