竹瓦温泉の向い、オープンカフェのTAKEYA脇から流川通りに延びる細い小路が竹瓦小路。車の進入は無理というこの細い小路には、別府最古はもちろんのこと、現存する日本最古という木製アーケードがかかっており、市営の竹瓦温泉とともに「別府温泉関連遺産」として近代化産業遺産に認定されています。
大正10年完成、日本最古の木製アーケードが残る
大正10年12月1日に完成した竹瓦小路のアーケード。
流川通り(大分県道52号別府庄内線)と竹瓦温泉とを結ぶ長さ70m、幅3mの木造、ガラス張りのアーケードです。
かつて旅客船が発着した楠港(旧別府港=現在は埋め立てられています)に着いた観光客が、雨に濡れずに竹瓦温泉に行けるようにと、元・豫州銀行頭取の佐々木長治(ささきちょうじ)が土地を買い上げ、建築したもの。
大阪商船の汽船(大阪・神戸〜別府航路)が接岸する楠港の桟橋が、前年の大正9年にコンクリート製固定桟橋となり、大正10年に新造船「紫丸」(1586トン)が就航、流川通りが拡幅されたことを受けてのアーケード整備でした。
大阪汽船は大正13年にはディーゼルエンジンの「紅丸」(後に「くれなゐ丸」と改称)を別府航路に就航。
関西の旅行者の別府遊山のブームが起こったのです。
当時、竹瓦温泉は、「リウマチに特効がある」と遠来の旅人にも大人気だったのです。
往時はみやげもの屋や市場などがあり栄えましたが、現在ではひっそりとしたもの。
流川通りとぶつかる角地には、「ゆずねり」菓子で有名な塩月堂老舗があります。
オープンカフェのTAKEYAは、旅館「福本屋」を再生したものという。
明治35年『新撰豊後温泉誌』には楠湯、不老泉、霊潮泉、田の湯、乾液の湯(竹瓦温泉のこと)、紙屋の湯、永石の湯、朝見温泉が記載されています。
明治31年『豊後温泉案内』まで、乾液の湯は登場しないので、明治35年の共同湯完成でデビュー、大正時代にアーケードができるほどの大人気になったことがわかります。
竹瓦小路 | |
名称 | 竹瓦小路/たけがわらこうじ |
所在地 | 大分県別府市元町 |
電車・バスで | JR別府駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東九州自動車道別府ICから約6.3km |
駐車場 | 市営北浜海岸駐車場(42台/有料) |
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