サイトアイコン ニッポン旅マガジン

鍋山磨崖仏

鍋山磨崖仏

大分空港と豊後高田市を結ぶ大分県道34号(豊後高田安岐線)沿いにある磨崖仏が鍋山磨崖仏。道から80段の石段を上った鍋山中腹の岩壁に不動明王・矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制多迦童子 (せいたかどうじ)からなる不動三尊立像が彫られています。制作年代は鎌倉時代と推定される古いもので国の史跡に指定。

田染荘の開発と密接な関係が推測される石仏

中尊の不動尊で高さ230cm、脇侍の童子は121cmという大きなものでかなり厚めに彫られているのが特長。
元々は稲積不動尊と呼ばれ、稲積山慈恩寺(豊後高田市田染平野3786)の奥ノ院であったとされています。
鍋山磨崖仏近く、豊後高田市と杵築市の境、田染地区には「田染耶馬」と呼ばれる奇峰が連なる景勝地、三の宮の景もあるので寄り道を。
全国の6割~7割が集中するという大分県の磨崖仏ですが、その多くは水源地に造られていますが、鍋山磨崖仏近くにも鍋山井堰があり、上野条里を広く灌漑していました。
つまりは、古代から中世の田染地区の開発と鍋山磨崖仏は密接に関係したことになります。

熊野磨崖仏(不動明王・大日如来/矜羯羅童子、制多迦童子の痕跡あり)、元宮磨崖仏(毘沙門天、不動明王、持国天など)とともに「熊野磨崖仏附元宮磨崖仏及び鍋山磨崖仏」として国の史跡となっています。
豊後高田市には磨崖仏が数多く、この3ヶ所の他に大門坊磨崖仏(室町時代/毘沙門天、薬師如来、大日如来、不動明王など)、川中不動(室町時代/不動明王、矜羯羅童子、制多迦童子)、天念寺磨崖役行者像(戦国時代/役行者像)、六所神社磨崖像(伝仁聞菩薩像、比丘比丘尼像など)、中之坊磨崖仏(室町時代末~江戸時代/大日如来、地蔵菩薩、如意輪観音など)、福真磨崖仏(鎌倉時代末~南北朝時代/五智如来、六観音、六地蔵、不動明王など)、堂ノ迫磨崖仏(室町時代/六観音、六地蔵、十王、比丘、比丘尼など)があります。

日本遺産『鬼が仏になった里「くにさき」』の構成資産になっています。

鍋山磨崖仏
名称 鍋山磨崖仏/なべやままがいぶつ
所在地 大分県豊後高田市田染上野579
関連HP 豊後高田市観光協会公式ホームページ
ドライブで 東九州自動車道宇佐ICから約25km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 豊後高田市観光協会 TEL:0978-23-1860
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

熊野磨崖仏

大分県豊後高田市、中世の荘園風景が残る田染平野にある今熊野山胎蔵寺(いまくまのさんたいぞうじ/六郷満山65ヶ寺のひとつ)から 旧鎮守・熊野神社(熊野権現)へ至る300mの山道と鬼が一夜で築いたという伝説の石段を上った左手の岩盤に彫られたのが

田染荘

国東半島(くにさきはんとう)の南西部、大分県豊後高田市の田染盆地(たしぶぼんち)にあるのが、中世の荘園、田染荘(たしぶのしょう)。時代とともに景観を変えることが多い現代にあって、地名、地割、水路が、中世と変わぬ状態で今もほぼ保たれており、「

元宮磨崖仏

大分県豊後高田市の田染真中地区にあり、元宮八幡社の境内北側の岩壁に造られた、龕(がん)のなかに彫られた磨崖仏が元宮磨崖仏。向って右から毘沙門天 、矜羯羅童子(こんがらどうじ)、不動明王、持国天(じこくてん) 、地蔵菩薩の五躯(ごく)の立像で

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了