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青森県にはキリストの墓も! 日本三大珍スポットとは!?

日本三大珍スポット

あり得ないのに、妙なところに辻褄(つじつま)が合うのが「荒唐無稽話」の特徴。日本国内にはキリストの墓、『十戎』で知られるモーゼの墓、そして世界三大美人・楊貴妃(ようきひ)の墓も! 番外編として、秦の始皇帝の命で、不老長寿の薬を求めて来日したという徐福の墓も紹介。

キリストの墓|青森県

所在地:青森県三戸郡新郷村戸来
伝承:ゴルゴダの丘で磔刑(はりつけけい)に処されたイエス・キリストは、ひそかに来日し、現在の青森県新郷村戸来で106歳という天寿をまっとうしたというのが、地元に伝わる伝説
内容:地元では「ヘブライ語の進軍歌」といわれる「ナニャドヤラ踊」もあり、戸来(Herai)という地名はヘブライ(Hebraea)の変とも
「生まれたばかりの赤ちゃんは1ヶ月家から外に出さず、初めて外出する際には、その額に墨で十字を書くヤッコの行事が残されています」(新郷村観光協会の話)
検証:昭和10年に茨城県に住む竹内巨麿氏が保管する『竹内文書』に記されていたというもので、村に伝承されていたというより、むしろ、昭和10年、国威発揚の時代を背景に村人に突然明かされた新説

キリストの墓(キリストの里)

キリストは密かに日本に逃れていたというキリスト伝説を伝える青森県新郷村。「キリストの里」と呼ばれる新郷村の戸来(へらい)地区にあるのがキリストの墓です。戸来(Herai)はヘブライ(Hebraea)の変ともいわれ、この地には不思議とユダヤに

キリストの里伝承館

昭和10年に竹内巨麿氏らが当時の戸来村(現・新郷村戸来)を訪れ、「ゴルゴダの丘で磔刑になったはずのキリストは、密かに日本に渡り、新郷村で106歳の天寿を全うしていた」と宣言した「キリストの里伝説」。それ以降、戸来は「キリストの里」として注目

モーゼの墓|石川県

所在地:石川県羽咋郡宝達志水町河原
伝承:ヘブライ民族をカナンに導く途中、紅海を分ける奇跡(出エジプト記14章)を起こしたことで有名なモーゼは、シナイ山から天浮船に乗り、能登の宝達山に辿り着いたという伝承が
内容:宝達山にたどり着いたモーゼは、その後、583歳までの超人的な余生を宝達山で過ごし、三ツ子塚に埋葬されたという奇想天外なストーリー
検証:「伝説」の元になっているのは、キリストは日本で死んだと主張し、キリストの墓やモーゼの墓を日本に「発見」した、山根キク(山根菊子)で昭和12年、国威発揚の時代を背景に『光りは東方より : [史実]キリスト、釈迦、モーゼ、モセスは日本に来住し、日本で死んでゐる』を発行
実際には三ツ子塚古墳という古墳時代の墳墓で、「モーゼの伝説」などもなく、突然降って湧いたような珍説ですが、押水町商工会は、町おこしにモーゼの墓を活用、全国的な反響があったことから、ついに平成5年、伝説の森公園 モーゼパークが整備されています

伝説の森公園 モーゼパーク

石川県羽咋郡宝達志水町(ほうだつしみずちょう)、宝達山山麓の三ツ子塚古墳群を整備した公園が、伝説の森公園モーゼパーク。ヘブライ民族をカナンに導く途中、紅海を分ける奇跡を起こしたことで有名なモーゼは、シナイ山から天浮船に乗り、能登の宝達山に辿

楊貴妃の墓|山口県

所在地:山口県長門市油谷向津具下3539
伝承:楊貴妃は唐の第9代皇帝・玄宗の命で悲劇の最期を遂げていますが、実は日本に逃げ、長門国(ながとのくに)の向津具半島(むかつくはんとう)に漂着
内容:二尊院には、楊貴妃の墓と伝承の五輪塔が現存
二尊院に伝わる楊貴妃伝説は、明和3年(1766年)、当時の二尊院住職・恵学(けいがく)が村人の伝説を書きとめたもので、「空艫船(うつろぶね)にて、当村唐渡口(とうどぐち=川尻岬西岸)という地へ漂着。まもなく死去したまいぬれば、里人相寄、当寺院境内に埋葬」と記されています
検証:ナツミカン(夏橙)は、江戸時代中期、黒潮に乗って南方から青海島に漂着したように、向津具半島は大陸からの漂着が多かったと推測できます
さらに平安時代に編纂された『和名類聚抄』によれば向津具は、向国(むかつくに)と記され、大陸に向かう場所だったことがわかります(大陸との交流から生まれた楊貴妃伝承か)
楊貴妃の墓とされる五輪塔と、本尊の二尊仏は鎌倉時代後期の作で、残念ながら楊貴妃没後500年という空白期間が生じてしまいます

二尊院(楊貴妃の墓)

古代中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃)に数えられる楊貴妃(ようきひ/719年〜756年)。楊貴妃は唐の第9代皇帝・玄宗の命で悲劇の最期を遂げていますが、実は日本に逃げ、長門国(ながとのくに)の向津具半島(むかつくはんとう)に漂着した

楊貴妃の里

唐の第9代皇帝・玄宗の命で悲劇の最期を遂げたとされる才色兼備の楊貴妃(ようきひ/719年〜756年)。実は、楊貴妃は日本へと脱出、長門国に流れ着いたのだという伝承が長門市の二尊院に残されています。「楊貴妃の墓」とされる五輪塔のある二尊院に隣

番外編:徐福の墓|和歌山県

所在地:和歌山県新宮市徐福1-4-24
伝承:秦始皇帝(しんのしこうてい)に仕えた徐福が、不老不死の妙薬を求め、海を渡り蓬莱(ほうらい)と目された新宮に上陸。自生する天台烏薬(クスノキ科の植物)を発見し、熊野川河口付近にある孤丘・蓬莱山の麓に永住して人々に新技術を教えた
内容:初代和歌山藩主・徳川頼宜(とくがわよりのぶ=徳川家康の十男)の命で建立された「秦徐福之墓」と記させた徐福の墓碑が立っています
検証:徐福関連の史跡は熊野川河口近くの蓬莱山、熊野川畔の秦徐福上陸の地記念碑、阿須賀神社境内の徐福を祀った祠(徐福の宮)などもあり、徐福伝承が残されています
熊野が蓬莱に擬せられて、熊野三山が三神山に擬ぜられた俗説というのが定説(『史記』巻六「秦始皇本紀」には徐福は不老長寿の薬を求めるとして金品をせしめ、実際には出立しなかったペテン師と記されています)

徐福公園

徐福伝説の残る和歌山県新宮市のJR新宮駅前にある公園が徐福公園。新宮市に伝わる徐福伝説は、秦始皇帝(しんのしこうてい)に仕えた徐福が、不老不死の妙薬を求め、海を渡り蓬莱(ほうらい)と目された新宮に上陸。自生する天台烏薬(クスノキ科の植物)を

青森県にはキリストの墓も! 日本三大珍スポットとは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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