【知られざるニッポン】vol.19 「読売巨人軍発祥の地」が谷津公園(習志野市)に!

京成本線谷津駅から南へ500mほど歩いた谷津公園。谷津バラ園の入口右手に「読売巨人軍発祥の地」碑があり、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治など有名な巨人軍関係者の手形が並んでいます。

大リーグを迎え撃った東京六大学の混成チーム

昭和9年11月2日、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジミー・フォックスの三大本塁打王に、速球王のレフティ・ゴメスら超一流選手を含む全アメリカ選抜チーム(MLB選抜)が来日。MLB選抜の来日は昭和6年に引き続いて2回目のことでした。
11月4日の神宮球場での第一戦を皮切りに、全国12都市で16試合を戦いました(結果は日本の16戦全敗)。ベーブ・ルース一行を招いたのは読売新聞社社長・正力松太郎です。
対した全日本チームは、水原茂(慶應義塾)、中島治康(早稲田)、二出川延明(明治)、井野川利春(明治)、苅田久徳(法政)ら東京六大学の選抜に沢村栄治などを加えた急造編成。

その全日本チームが母体となって大日本東京野球倶楽部(後に東京読売巨人軍、さらに読売巨人軍と改名)が誕生。全日本チームの合同練習、そして練習試合が行なわれたのが谷津遊園内の谷津球場だったというわけなのです。

ちなみに日本初のプロ野球(職業野球)チーム発祥の地は、日本運動協会(通称・芝浦野球協会)」が結成された芝浦球場跡地(芝浦埠頭公園あたり=東京都港区海岸3丁目)。
日本野球発祥の地は、東京大学の前身・開成学校に招聘されたお雇い外国人、米国人教師ホーレス・ウィルソン氏が生徒たちに野球の指導をした開成学校の跡地(学士会館の正面玄関前=東京都千代田区神田神保町1丁目)。
日本初の野球場、野球チームは、明治11年新橋停車場構内にできた「保健場」で、日本初の本格的野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」が平岡ひろしによって生まれています。平岡ひろしはその功績により、昭和34年に野球殿堂入りしています。

二出川延明
「俺がルールブックだ!」の名言で有名な二出川延明
読売巨人軍発祥の地碑
読売巨人軍発祥の地
名称読売巨人軍発祥の地/よみうりきょじんぐんはっしょうのち
所在地千葉県習志野市谷津3-1-14 谷津公園
関連HP習志野市谷津バラ園公式ホームページ
電車・バスで京成電鉄谷津駅南口から徒歩7分。JR総武線津田沼駅からバス谷津干潟行きで谷津南小学校下車、徒歩3分
ドライブで京葉道路花輪ICから約1.8km
駐車場谷津公園駐車場(無料)を利用
問い合わせ習志野市公園緑地課 TEL:047-453-9297

谷津バラ園

昭和32年、谷津遊園内に開園した「東洋一の大バラ園」が前身。昭和57年、谷津遊園の閉園にともないバラ園も閉鎖されましたが、昭和63年に習志野市の都市公園として復活。春秋2回、世界のバラが7500株が咲き乱れる!面積1万2600平方メートルに

習志野市谷津バラ園でバラ見頃

谷津バラ園は、谷津公園に設けられたバラ園で、熟年世代にはピンとくるでしょうが谷津遊園とよばれた遊園地の跡地。遊園地時代のバラ園が存続され、関東有数のバラ園となっています。バラ園の入口脇には「読売巨人軍発祥の地」碑が昭和63年に開園した歴史あ

 

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ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。

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