東海道本線、山陽本線など「本線」と名の付く線区のうち、目下、路線距離が最も短いのが留萠本線(るもいほんせん)。2023年4月1日に石狩沼田駅〜留萠駅間が廃止となり、深川駅〜石狩沼田駅の5駅、14.4kmで、日本一短い「本線」となっています。
石狩沼田駅の駅名は、沼田町の開祖・沼田喜三郎に由来
石狩沼田駅は、かつては札沼線と留萌本線の乗り換え駅でしたが、1972年6月19日に札沼線新十津川駅 〜石狩沼田駅間が廃止され、留萌本線の単独駅となっています。
石狩沼田駅〜留萠駅間の廃止で、留萌本線とはいうものの留萌エリア(留萌振興局管内)に路線はなく、すべて石狩エリアとなっています。
もともと留萌本線は、留萌港への石炭、木材などを運ぶ目的で、明治43年11月23日に官設鉄道として深川駅〜 留萠駅間敷設されたもの。
留萌はニシン漁での繁栄もあって、北海道の発展に欠かせない鉄道でしたが、トラック輸送などに転じたため、利用者が減少。
終着駅の石狩沼田駅でさえ、1日の乗降客は50人ほどという状況です。
そのため、2026年3月31日で廃止することがJR北海道と沿線自治体で合意されているので、日本一短い「本線」に乗車できるのもあとわずかな期間ということになります。
石狩沼田駅は、北海道雨竜郡沼田町にある沼田町の玄関駅ですが、小樽の豪商・沼田喜三郎(ぬまたきさぶろう=沼田町の開祖)所有の農場内に駅を設置したため沼田駅と命名したもの(行政的には上北竜村)。
沼田喜三郎は、越中国砺波郡新西嶋村(現・富山県小矢部市新西)の出身で、明治15年、49歳の時に北海道に渡り(小樽港に上陸)、職業だった大工の腕を生かして妙見川に水車をかけて越中米の精米をして成功。
明治24年に小樽オルゴール堂で有名な「共成」創立(明治37年には北日本最大の米穀商にまで発展しています)、沼田町の雨竜本願寺農場の貸付を受け、明治27年、故郷から18戸の移住を勧誘して、農場経営(広大な未開地の開墾)も始めています。
その農場に誕生したのが沼田駅(上越線の沼田駅開業時に石狩沼田駅に改称)で、大正11年には村名も沼田村となっていますが、沼田駅の誕生が村名改称の大きな理由となったのだと推測できます。
2026年3月31日で留萌本線が廃止となると、日本一短い「本線」は日高本線30.5kmになります(こちらも廃止区間が多く、日高エリア(日高振興局管内)には路線がありません)。
2位は北陸新幹線敦賀駅までの延伸開業で、並走する北陸本線の3セク化を受けた北陸本線で45.9kmです。
日本一短い「本線」・留萌本線の終着駅、石狩沼田駅へ | |
名称 | 石狩沼田駅/いしかりぬまたえき |
所在地 | 北海道雨竜郡沼田町北1条3−1 |
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