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日本煉瓦製造会社旧事務所(煉瓦史料館)

日本煉瓦製造会社旧事務所(煉瓦史料館)

埼玉県深谷市は、日本の近代化を、レンガ生産で支えた「レンガのまち深谷」。渋沢栄一が設立し、明治21年に創業を開始した旧日本煉瓦製造株式会社の敷地内にある明治20年築の洋館が、日本煉瓦製造会社旧事務所。国の重要文化財に指定される建物は、深谷市の管理で、煉瓦史料館として再生され、渋沢栄一命日(11月11日)などに公開。

ドイツ人レンガ技師チーゼ設計の洋館

明治政府が計画した洋風建築による庁舎建設のため招かれたブラジル生まれのドイツ人レンガ技師ナスチェンテス・チーゼ(Nascentes Ziese/明治20年来日、明治22年帰国)の住居兼事務所(日本煉瓦製造会社を建設するための事務所)としても使用されました。
設計施工もナスチェンテス・チーゼ。
明治22年12月にチーゼと令嬢クララがドイツへ帰国して以降は、建設された日本煉瓦製造会社の事務所として使われました。

敷地内の明治40年に建造されたホフマン輪窯6号窯、煉瓦造りの旧変電室があり、国の重要文化財に指定されています。

煉瓦造りの旧変電室
日本煉瓦製造会社旧事務所(煉瓦史料館)
名称 日本煉瓦製造会社旧事務所(煉瓦史料館)/にほんれんがせいぞうがいしゃきゅうじむしょ(れんがしりょうかん)
所在地 埼玉県深谷市上敷免28-10
関連HP 深谷市公式ホームページ
ドライブで 関越自動車道花園ICから約14.3km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 深谷市文化振興課 TEL:048-577-4501
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

備前渠鉄橋

現在の埼玉県深谷市にあった旧日本煉瓦製造会社(明治21年創業)で大量に生産されたレンガは、日本の近代化に多大な貢献を果たしていますが、大量輸送を可能にしたのが、深谷駅から敷設された専用の引込線。廃線跡は、遊歩道「あかね通り」となっていますが

日本煉瓦製造会社ホフマン輪窯6号窯

明治21年の操業開始以来、約120年にわたり「レンガのまち深谷」(埼玉県深谷市)の象徴的存在だった日本煉瓦製造株式会社。当時日本が近代化するにあたり、渋沢栄一らによって設立されたレンガ会社で、レンガを焼成したホフマン輪窯6号窯は、国の重要文

福川鉄橋

渋沢栄一らが明治21年に埼玉県榛沢郡上敷免村(現・深谷市上敷免)に創業した日本煉瓦製造会社。生産されたレンガの大量輸送を可能にしたのが、明治28年に日本鉄道・深谷駅から敷設した4.2kmに及ぶ専用の引込線。途中、備前渠鉄橋、唐沢川鉄橋、福川

渋沢栄一記念館

埼玉県深谷市にある令和3年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一を顕彰するミュージアムが渋沢栄一記念館。近代日本を支えた明治時代の大実業家、渋沢栄一は、天保11年(1840年)、当時は養蚕の盛んだった武蔵国榛沢郡血洗島村(ちあら

新1万円札の表面は渋沢栄一、では裏面に描かれた建物は!?

2024年7月3日に発行が始まる新1万円札。表面は、「傑出した業績を残し、新たな産業の育成といった面からも日本の近代化をリードして、大きく貢献した」渋沢栄一を描いています。では、裏面に描かれた建物は何でしょう? 渋沢栄一が埼玉県の現・深谷市

 

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