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川越菓子屋横丁

川越菓子屋横丁

埼玉県川越市にある駄菓子屋が並ぶ横丁が川越菓子屋横丁。明治初期、気取らない菓子を製造したことが始まりといわれる菓子屋横丁。関東大震災で菓子屋が壊滅状態となった昭和初期には、東京に代わって製造を担い、60軒あまりの店が軒を連ねていました。現在は、200mほどの通りに20軒ほどの店舗が並び、内外の観光客で賑わっています。

関東大震災以降に発展した川越の菓子産業

明治初期、養寿院(川越菓子屋横丁の南にある曹洞宗の寺)の門前町として栄える一帯で、鈴木藤左衛門が「松本屋」を開き、江戸っ子好みの気取らない菓子を製造したのが始まり。
明治26年、鈴木藤左衛門は52歳で没していますが、「松本屋」を須田鉄五郎が引き継いで「須田鉄」を営み、森田徳三郎の「森徳」、鈴木富造の「鈴富」、森田豊治の「森豊」の4軒が、川越菓子屋横丁発展の土台となりました。

関東大震災で東京・神田岩本町(かつての東竜閑町や大和町)の菓子屋産業が壊滅的な打撃を受けると、川越の生産量が爆発的に増大(神田の菓子業者は錦糸町に移転、洋菓子の技術者は地方に分散し、洋菓子技術が全国に波及するなど菓子産業の転換期になっています)。
「昭和十五年度営業収益税申告受付簿 川越商工会」によれば、川越全体で60軒ほどの菓子屋があったことがわかります。

明治中期に店を構えた4軒のうち、現在も菓子屋横丁に残っているのは明治18年創業の「森徳」(現在の「小江戸茶屋」)のみとなっています。

横丁の雰囲気と下町風の菓子の懐かしいかおりが環境省の選定する「かおり風景100選」にも選定。

川越菓子屋横丁
名称 川越菓子屋横丁/かわごえがしやよこちょう
所在地 埼玉県川越市元町
関連HP 小江戸川越観光協会公式ホームページ
電車・バスで 西武新宿線本川越駅から徒歩10分
ドライブで 関越自動車道川越ICから約4km
駐車場 市内観光用駐車場(157台/無料)
問い合わせ 小江戸川越観光協会 TEL:049-227-8233
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

喜多院(川越大師)

830(天長7)年、慈覚大師・円仁(えんにん)により創建された古刹が喜多院(川越大師)。1296(永仁4)年、伏見天皇が尊海僧正に再興を命じ、慈恵大師(元三大師)を祀って関東天台の中心的な存在となりました。さらに1599(慶長4)年、27世

時の鐘

埼玉県川越市の中心部、蔵造りの街並みに建つのが時の鐘。江戸時代初頭から城下の町に時を告げてきた川越のシンボル的な存在の鐘撞堂です。川越藩主・酒井忠勝(さかいただかつ)が初代の堂を創建し、現存する時鐘楼は、明治26年に起きた川越大火直後、店も

 

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