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草加松原

日光街道・奥州街道の草加宿(そうかしゅく)は千住宿、越ヶ谷宿の間の間の宿(あいのしゅく)として1630(寛永7)年に設けられた宿場。草加松原は、かつての街道沿いに残る松並木で、綾瀬川に沿って栄町3丁目の旧道南側詰から神明交差点にあるおせん公園まで約1.5kmに渡って続き、国の名勝になっています。

日光街道の美しい松並木は、名勝「おくのほそ道の風景地」に

草加松原遊歩道の歩道橋「百代橋」
和風の太鼓型歩道橋「矢立橋」

松並木を歩く「草加松原遊歩道」も整備され、矢立橋近くには綾瀬川舟運の船着き場を再現した札場河岸公園(ふだばかしこうえん)も整備されています。
草加の農産物を江戸へ、江戸から肥料や日用雑貨品を草加へ運んだ廻船の発着する綾瀬川の川湊・札場河岸の跡です。

また、埼玉県の文化財に指定される甚左衛門堰(じんざえもんせき)もあります。
明治27年〜昭和58年の間、利用された二連アーチ型レンガ造りの水門です。

公園には芭蕉像も立っていますが、『奥の細道』の第一夜が草加宿であったことを記念したもの。
残念ながら、芭蕉はこの松並木を眺めていません。
天和年間(1681年~1684年)の綾瀬川改修に伴い、右岸沿いの日光街道が整備された際に松が植えられたとする説もありますが、本格的な整備は、18世紀になってから。

現在では、「おくのほそ道の風景地」として国の名勝になっています。

綾瀬川、札場河岸の跡
レンガ造りの甚左衛門堰
芭蕉の『奥の細道』第一夜は草花宿
1689(元禄2)年3月27日、松尾芭蕉は、曽良を従えて江戸・深川を出立。
あまり知られていませんが、深川から日光街道千住宿までは舟運を利用しています。
千住宿で見送りを受けた芭蕉たちは、2里8丁(8.8km)を歩いて、初日の夜は草加宿にわらじを脱いでいます。

日光街道の千住と越谷の間は沼地が多く、1606(慶長11)年の新道完成に向けて沼地をたくさんの草で干拓したのが草加の名の由来。
1630(寛永7)年に日光街道2番目の宿場として草加宿が開かれ、さらに1792(寛政4)年に宿場北端の街道沿いに松が移植されたのです。

草加松原
名称 草加松原/そうかまつばら
所在地 埼玉県草加市神明2丁目・栄町1〜3丁目・松江
関連HP 草加市公式ホームページ
電車・バスで 東武スカイツリーライン獨協大学前〈草加松原〉駅から徒歩3分
ドライブで 東京外環自動車道草加ICから約2km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 草加市文化観光課 TEL:048-922-0151/FAX:048-922-3091
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

第42回草加朝顔市|草加市|2024

2019年6月16日

 

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