埼玉県行田市、行田の足袋産業全盛期を象徴する建物のひとつが旧小川忠次郎商店。現在、そば店「忠次郎蔵」として再生される店蔵は、行田市内では5棟だけとなった、本格的な蔵造りの店舗で、国の登録有形文化財。大正13年頃に建築工事が始まり、昭和4年頃に完成した小川忠次郎商店(足袋の原料を商う店)の遺構です。
足袋産業の繁栄を今に伝える店蔵は、そば店に再生
小川忠次郎は明治18年に群馬県太田市に生誕。
明治40年に漁商を始めますが、行田の足袋産業の発展に着目し、妻・まさの実家(現・行田市谷郷)の支援を受けて、大正9年に小川忠次郎商店を開店しています。
行田の足袋産業の発展を背景に、またたく間に財を蓄え、現存する店蔵を建設したもの。
すぐ近くに牧野本店が立派な店蔵を築いたのを見て、切妻で土蔵造り2階建ての店蔵を建築したのです(主屋部分は寄棟造りです)。
内部1階は店舗南側を土間のミセ(店)とし、北側に帳場、主屋部分のナカノマ、オクへと縦1列に並ぶ間取りで、2階に格式の高い座敷が設けられています。
小川忠次郎商店は地方競馬の馬主になるまでに発展しますが、小川忠次郎の一代で店を閉じています(小川忠次郎は昭和44年、81歳で没)。
平成16年、NPO法人「ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」が設立され、平成20年には、さらににNPO法人「忠次郎蔵」が設立され、保存、管理に尽力。
現在では信州戸隠産の玄そばをつかったこだわりのそば店に再生され、行田名物のゼリーフライを味わうこともできます。
日本遺産「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」
木綿の産地でもあった行田は、近くに中山道が通るという地の利を活かし、旅行用や作業用の足袋の生産が始まりました。
明治時代にミシンが導入され、さらにミシンの動力化により、名実ともに行田の足袋は日本一になったのです。
昭和13年の行田の足袋生産量は8400万足で、なんと全国生産の8割を占めているのです。
平成29年4月28日に、埼玉県内初の日本遺産として「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」が登録。
足袋蔵ギャラリー門、足袋とくらしの博物館、時田家住宅・時田蔵、武蔵野銀行行田支店などとともに、旧小川忠次郎商店(忠次郎蔵)もその構成資産になっています。
旧小川忠次郎商店(忠次郎蔵) | |
名称 | 旧小川忠次郎商店(忠次郎蔵)/きゅうおがわちゅうじろうしょうてんてん(ちゅうじろうぐら) |
所在地 | 埼玉県行田市忍1-4-6 |
関連HP | 忠次郎蔵公式ホームページ |
電車・バスで | 秩父鉄道行田市駅から徒歩5分 |
ドライブで | 関越自動車道花園ICから約24km |
駐車場 | あり |
問い合わせ | 旧小川忠次郎商店(忠次郎蔵) TEL:048-556-9988 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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