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銅鐸博物館・弥生の森歴史公園

銅鐸博物館・弥生の森歴史公園

滋賀県野洲市、野洲市立弥生の森歴史公園にあるユニークな博物館が日本古代史の謎とされる銅鐸のルーツを探り、その真相解明に迫る銅鐸博物館(野洲市立歴史民俗資料館)。銅鐸をシンボルとする野洲市のテーマ館的な存在で、館内では、銅鐸の発生から移り変わりを9面マルチビジョンなどで詳しく解説しています。

銅鐸の謎を解き明かすためのミュージアム

野洲市では、明治14年に14個、昭和37年に10個の銅鐸が、小篠原の大岩山から発見され、そのなかには高さ134.7cm、重さ45.47kgという日本一の大きさを誇る巨大な銅鐸もあります。
日本一巨大な銅鐸は、突線鈕5式銅鐸 (とっせんちゅうごしきどうたく)と呼ばれるもので、弥生時代後期の制作(国の重要文化財/東京国立博物館蔵)。

大岩山銅鐸の展示を中心に(突線鈕5式銅鐸はレプリカを展示)、銅鐸の発生から移り変わりや銅鐸の鋳造方法などを詳しく解説し、銅鐸の謎に迫ります。

弥生の森歴史公園には、古代米「赤米」を栽培する水田、竪穴住居4棟、高床式倉庫1棟が復元。まが玉づくりなども楽しめる。

平成8年に島根県雲南市加茂町の加茂岩倉遺跡で銅鐸39点が発見されるまで、銅鐸の大量出土例としては、日本最多だった大岩山地区。
明治14年に遊んでいた子供が偶然見つけたもので、当時はまだ銅鐸という言葉もなく、「唐金古器物」と呼ばれていました。
昭和37年の発見は、東海道新幹線建設に伴う、土砂の採取で偶然発見されたもの。
どうして土に埋まっているのかは諸説あり、弥生時代後期にシンボルだった銅鐸を埋めて処分した説、普段は土中で保管し、祭祀(さいし)の時だけ掘り出して使っていた説が有力。

大岩山地区の銅鐸は、近畿地方の形式と、東海地方に分布した両タイプがあるので、近畿、東海から幅広く集めて土に埋めた可能性もあるのだとか。
銅鐸の出土地近くには、その後の古墳時代の大岩山古墳群もあり、「銅鐸のまち」・野洲市は、古代のロマンを今に伝えるエリアになっています。

銅鐸博物館・弥生の森歴史公園
名称 銅鐸博物館・弥生の森歴史公園/どうたくはくぶつかん・やよいのもりれきしこうえん
所在地 滋賀県野洲市辻町57-1
関連HP 野洲市公式ホームページ
電車・バスで JR野洲駅からタクシーで5分
ドライブで 名神高速道路栗東ICから
駐車場 50台/無料
問い合わせ 教育委員会 歴史民俗博物館 TEL:077-587-4410/FAX:077-587-4413
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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