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大通寺(長浜御坊)

大通寺(長浜御坊)

滋賀県長浜市にある大通寺は真宗大谷派(東本願寺)の別院で、正式名は無礙智山(むげちざん)大通寺。長浜市民には、長浜御坊、「御坊(ごぼう)さん」と親しまれてきた寺です。本堂(阿弥陀堂)は伏見城の遺構と伝えられ、国の重要文化財。本堂では丸山応挙、狩野山楽・山雪、岸駒の襖絵などを見学可能です。

真宗王国だった湖北の本願寺の拠点として創立

慶長7年(1602年)、本願寺第12代教如(きょうにょ)を開基として長浜城内に長浜御堂を創建。
翌年、慶長8年(1603年)に本願寺は東西に分立。
その後、長浜城の廃城に伴って大通寺(長浜御坊)も慶安4年(1652年)に現在地に移転しています。

もともと湖北は、蓮如上人が他力念仏の教えを広める布教活動の拠点だった地。
真宗王国と呼ばれた湖北三郡(坂田、浅井、伊香)の中心道場であった総坊を前身として、長浜城内に長浜御堂を創建したのです。

寺伝によれば、入母屋造りの本堂(阿弥陀堂)と書院造りの大広間(附玄関)は、伏見城の建物を徳川家康から東本願寺第12代教如へと寄進されたもので、本願寺(東本願寺)の御影堂として用いたものを、承応年間(1652年〜1654年)に移建したものとか。
書院造りの大広間は、伏見城時代に、公式の対面所(謁見の間)として使用していたと推測されています。

台所門(薬医門)は長浜城大手門を移築

長浜城の大手門を移築した台所門(薬医門)

長浜城の大手門を移築した台所門(薬医門)は長浜市の文化財。
脇門の門扉には本能寺の変に呼応した京極軍による矢や銃弾の痕が残されています。

また大通寺は、江戸時代には彦根藩・井伊家との関係を強め、寛永16年(1639年)に宣如上人の三男・霊瑞院宣澄が住職となると、彦根藩藩主・井伊直孝の援助を得て寺域を拡大。
同時に伏見城の遺構と伝えられる本堂や大広間を譲り受けたのです。

安政4年(1857年)に大通寺の養女となった砂千代(さちよ)は、大老となった井伊直弼(いいなおすけ)の七女。
明治5年に、大通寺第10代住職と婚姻しています。

鑑賞式枯山水の「含山軒庭園」、鑑賞式池泉庭園の「蘭亭庭園」は、国の名勝。
2つの庭園は大通寺第5代住職・横超院の時代に作庭されています。

「含山軒庭園」は、伊吹山を借景として鑑賞式枯山水で、「含山」は横超院の画号ですがこの伊吹山を庭に取り込んだことも表わし、亀島を配して、伊吹山から枯滝に水が注いで見えるよう設計されています。
蘭亭曲水宴図の襖絵で知られる蘭亭の前庭となる「蘭亭庭園」は、長い池を配し、奥には築山を築き、枯滝と石組みを使った池泉庭園となっています。

大通寺(長浜御坊)
名称 大通寺(長浜御坊)/だいつうじ(ながはまごぼう)
所在地 滋賀県長浜市元浜町32-9
関連HP 大通寺公式ホームページ
電車・バスで JR長浜駅から徒歩10分
ドライブで 北陸自動車道路長浜ICから約3.2km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 大通寺 TEL:0749-62-0054/FAX:0749-62-0116
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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