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近江孤篷庵

近江孤篷庵

滋賀県長浜市にある臨済宗大徳寺派の寺で、小堀遠州(こぼりえんしゅう=小堀政一)の菩提寺が近江孤篷庵(おうみこほうあん)。小堀遠州の菩提を弔うために、小室城主で息子の小堀正之が大徳寺から僧・円恵を招いて開山した寺。遠州が大徳寺に建立した孤篷庵に対して近江孤篷庵と呼ばれています。

小堀遠州の菩提寺で、遠州好みの庭も復元

千利休(せんのりきゅう=わび茶の完成者)、古田織部(ふるたおりべ=山田芳裕『へうげもの』主人公、茶道織部流の祖)とともに日本三大茶人としても名高い小堀遠州(小堀政一)は、近江国坂田郡小堀村(現・滋賀県長浜市小堀町)に居住した土豪。
父・小堀正次は、浅井家滅亡後に羽柴秀吉の弟・羽柴秀長の家臣となり、子の小堀遠州(小堀政一)も秀吉の直参となった際、伏見城下で古田織部に茶の湯を学んでいます。
秀吉の死後は徳川家康に仕え、駿府城普請奉行(家康の隠居所としての駿府城改修責任者)となった翌年、慶長14年(1609年)、従五位下遠江守に叙任したことで、晩年に官名から小堀遠州と通称されるように。

近江孤篷庵は、小堀家の菩提寺でしたは江戸時代後期の天明8年(1788年)、小堀政方の伏見での悪政による小堀家改易とともに廃れ(小堀家は後に小堀政方の甥・小堀正優が再興)、昭和40年に臨済僧で小堀遠州の末裔、小堀定泰(こぼりじょたい)が再興し、遠州好みという庭も見事に修復されています。
簡素な石組の枯山水と池泉回遊式の庭園は、滋賀県の名勝に指定。

紅葉も見事で、湖北屈指の紅葉の名所になっています。
ちなみに孤篷庵は小堀遠州の庵号で、法号(戒名・孤篷庵大有宗甫)。
「孤篷」は「一艘の苫(とま=茅や菅)で屋根を葺いた舟」の意で、師事した春屋宗園(しゅんおくそうえん=大徳寺の住持、石田三成処刑後の遺体を手厚く三玄院に葬っています)から授かった号です。

白洲正子の『かくれ里』にも登場しています。

近江孤篷庵
名称 近江孤篷庵/おうみこほうあん
所在地 滋賀県長浜市上野町135
関連HP 長浜観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR北陸本線長浜駅からタクシーで20分
ドライブで 北陸自動車道長浜ICから約8km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 近江孤篷庵 TEL:0749-74-2116
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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