滋賀県湖南市の大沙川(おおすながわ)は、典型的な天井川(砂礫の堆積が原因で河床が周辺よりも高くなった川)。大沙川の下をトンネル(隧道)で通り抜ける大沙川隧道は、明治17年3月竣工という石造の隧道。建設当初の位置で現存する現役の石造道路隧道としては、日本最古のもので、湖南市の文化財、土木学会の土木遺産になっています。
由良谷川隧道、大沙川隧道と明治時代の石造トンネルが連続
大沙川隧道は東海道(旧東海道)が大沙川をくぐるために築かれた石造トンネル(滋賀県初の道路トンネル)。
大沙川は、奈良時代に奈良の都に仏教寺院や石山寺の造営するため、近隣の山の木々は伐採され、はげ山となったために花崗岩質の土砂が流出、川床が上昇し、天井川になったと推測されています。
つまりは奈良の都を築くために誕生した天井川ということに。
長さ16.4m、高さ4.6m、幅4.4m、半円アーチ断面で両側壁とも花崗岩の切石積みという頑丈な構造。
吉永という地名をとって地元では「吉永のマンポ」と呼ばれています。
マンポとは、石見銀山などの坑道で使われた間歩(まぶ)の転訛。
大沙川隧道は、西側を流れる由良谷川をくぐる由良谷川隧道(明治19年築造)とともに、切石積みの美しいアーチ断面を持ったトンネルです。
由良谷川のさらに西側を流れる家棟川の家棟川隧道と、3つの天井川隧道が連続していましたが、残念ながら家棟川隧道は、昭和54年の河川改修で撤去されています。
空海手植えと伝わる巨杉は2代目
大沙川隧道の上に生育する巨杉が樹高26m、樹齢750年という弘法杉。
空海(弘法大師)がこの地を通りかかった際、食事をとり、その時使った杉箸を刺したところ(あるいは杉苗を手植えとも)、成長して大杉になったという伝説が残され、箸2本とも生育したので、かつては2本杉だったとのこと。
その後、空海が植えた杉は朽ち果てましたが、鎌倉時代ころに地元の人が2代目を植栽。
安永2年(1773)の台風で堤防が決壊して、1本が失われて、残りの1本が現存しているのです。
この杉の枝で箸を作って子供に持たせれば、自然に右手で箸を持つようになるという伝承があることからかつては手の届く範囲の下枝がなかったそうです。
大沙川隧道・弘法杉 | |
名称 | 大沙川隧道・弘法杉/おおすながわずいどう・こうぼうすぎ |
所在地 | 滋賀県湖南市吉永 |
関連HP | 湖南市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR草津線三雲駅から徒歩25分 |
ドライブで | 名神高速道路栗東ICから約13.5km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 湖南市観光協会 TEL:0748-71-2157/FAX:0748-72-9622 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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