琵琶湖の最北岸、滋賀県長浜市西浅井町にある社が塩津神社(鹽津神社)。平安時代に編纂された『延喜式神名帳』に記載の古社で、奥琵琶湖の重要な湊だった塩田湊に鎮座しています。塩田湊は北陸と大津・京を結ぶ琵琶湖舟運の要衝で、海津湊(高島市マキノ町)、大浦湊(長浜市)とともに湖北三湊のひとつ。
琵琶湖舟運の要衝・塩田湊に鎮座する古社
大津湊と塩田湊は琵琶湖の舟運が結び、塩田湊から深坂峠を越えて敦賀に至る塩津街道(現在の国道8号)が、近江・畿内と越前を結ぶ最短ルートとして機能していました(17世紀に北前船の西廻り航路が開かれるまで、日本海だけでなく日本の物流の主力ルートでした)。
そのため湖北三湊のなかでも最重要港湾だったのが、この塩津湊。
祭神は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)で、かつては志波谷に塩池があって23戸が製塩を行なっていたと伝えられ、その人々が遠租である塩土老翁神を祀ったのが始まりだと伝えられています。
まさに製塩をする津(港)という地名の由来に(能登など北陸で生産される塩の積み出し港が名の由来とも推測できます)。
琵琶湖の北岸に鎮座するため海北之宮とも呼ばれていたのだとか。
平安時代の初めの天長4年(827年)、和気仲世(わけのなかよ)が近江介(近江国の国司)となった際には誉田別尊(ほむたわけのみこと=応神天皇/神仏習合では八幡大菩薩)を祀り、長徳2年(996年)、紫式部(むらさきしきぶ)が越前守に任じられた父・藤原為時に同行して越前国武生へ出向く際には、大津から舟に乗り塩津で下船、塩津神社に参拝し旅の安全を祈願しています。
「塩津山といふ道のいと繁きを賎(しず)の男のあやしきさまどもして『なおからき道なりや』といふを聞きて『知りぬらむ往来にならす塩津山世に経る道はからきものぞと』」(『紫式部集』)
さらに文和元年(1352年)には京を逃れて近江国へ避難していた室町幕府第2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら/足利尊氏の子)が社殿を修復しています。
塩津神社は、現在では社前を国道8号が通っていますが、国道開通以前は、海に面して建っていました。
大川の河口の塩津港遺跡(古代から中世への移行期の港湾施設の実態が明らかになった遺跡)から平安時代後期の神社跡が発見されており、「米を盗みません」、「魚を一巻も失くしません」などと記された12世紀に神仏に誓いをたてた木札(起請文)が多数出土しています。
この神社跡と塩津神社との関係は今後の解明が待たれるところです。
塩津神社 | |
名称 | 塩津神社/しおつじんじゃ |
所在地 | 滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547 |
関連HP | 長浜観光協会公式ホームーページ |
電車・バスで | JR近江塩津駅から徒歩40分 |
ドライブで | 北陸自動車道木之本ICから約5.5km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 長浜観光協会北部事務所 TEL:0749-82-5909/FAX:0749-82-5913 |
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