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大中の湖南遺跡

大中の湖南遺跡

かつて琵琶湖の周辺には衛星のように四十数個の内湖がありましたが、最大の内湖が大中湖(だいなかのこ)。現存する西の湖の横にあり、戦後に干拓されて農地となりました。その大中湖の南にある縄文時代から弥生時代の農村集落跡が大中の湖南遺跡(だいなかのこなみいせき)です。

昭和39年の大中湖干拓事業で湖底に眠る遺跡が発見された!

昭和39年に大中湖の干拓事業の際に、大中湖南東部の砂州近くの湖底に大規模な農業集落の跡が発見されました。
これが大中の湖南遺跡。
縄文時代から鎌倉時代にかけての遺跡で、弥生時代中期初頭の水田跡は日本最古の稲作遺構のひとつ。

平安時代末期もしくは鎌倉時代に水没し、湖底にあることで破壊から免れ、初期農耕集落の構成がよくわかる遺跡となっています。

奈良県の唐古遺跡、静岡県の登呂遺跡と並ぶ重要な遺跡ですが、残念ながら石碑、説明板、復元された竪穴式住居が残されるのみとなっています。

遺物は現在安土城考古博物館に収蔵され、集落の復元模型などととともに遺物の一部は常設展示されています。

カーナビなどに設定の場合は、滋賀県立農業大学校を目的地にセットすると、その近く(南東)にあります。

大中の湖南遺跡
名称 大中の湖南遺跡/だいなかのこなみいせき
所在地 滋賀県近江八幡市安土町大中
電車・バスで JR安土駅からタクシーで10分
ドライブで 名神高速道路竜王ICから約18km
駐車場 路肩を利用
問い合わせ 近江八幡市総合政策部文化観光課 TEL:0748-36-5529
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/滋賀県

瓢箪山古墳

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2018年2月13日

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