滋賀県高島市今津町の今津港観光船乗り場脇に立っているのが『琵琶湖周航の歌』歌碑。「われは湖(うみ)の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと 昇る狭霧(さぎり)や さざなみの 志賀の都よ いざさらば」の歌詞で知られ、三高の寮歌・学生歌として大正6年に作詞され、戦後は多くの歌手がカバーしています。
今津で『琵琶湖周航の歌』が誕生!
大正6年6月28日、第三高等学校(三高、現在の京都大学)ボート部の部員による恒例の琵琶湖周航の途中、部員で長野県岡谷市生まれの小口太郎(おぐちたろう)が故郷・諏訪湖に思いを馳せながら作詞。
『ひつじぐさ』(作曲:吉田千秋)のメロディーに乗せて歌ったのが始まり。
有名なご当地ソングなのですが、実は、具体的に琵琶湖のどの場所、という特定が困難で、歌碑が初めて建てられたのは、大津市の三保ヶ崎で昭和48年のこと。
1番の「志賀の都よ いざさらば」の志賀の都とは、天智天皇が遷都した大津京のこと、転じて大津市というわけなのです。
この建立をきっかけに歌碑は、各地に建てられているのですが、注目は今津港です。
作詞者である小口太郎は、ここ今津の宿でこの歌を初めて仲間に披露したということで同地は、「周航の歌」生誕の地とされています。
第三高等学校(現・京都大学)予科第二部ボート部クルーは学年末(当時は7月卒業)の慣例で、琵琶湖周航に出ていました(使われたボートは、フィックス艇/近江舞子・雄松〜今津〜彦根〜近江八幡・長命寺に宿泊する4泊5日の旅程)。
大正6年6月27日、一行は大津の三保ヶ崎(最初に歌碑が建立された地)を漕ぎ出て、1日目は雄松(現・滋賀県大津市南小松/近江舞子)に宿泊。
2日目の6月28日は、今津の湖岸の宿で、疲れをとっていました。
クルーのひとりが「小口がこんな歌をつくった」と同行の漕友に披露し、当時の曲『ひつじぐさ』(作曲:吉田千秋/原曲の作曲者と判明したのは平成5年のこと)にのせて合唱したのが『琵琶湖周航の歌』の始まり。
昭和46年に加藤登紀子が歌って大ヒットし、一躍有名になったのです(加藤登紀子は森繁久彌の『知床旅情』を前年にカバーして大ヒットしていました)。
3番の歌詞「波のまにまに 漂えば 赤い泊火(とまりび) 懐かしみ 行方定めぬ 波枕 今日は今津か 長浜か」のなかに「赤い泊火」が出てきますが、これが今津港の桟橋突端にある灯火のこと。
観光船の発着する桟橋脇の浜に『琵琶湖周航の歌』歌碑が建てられています。
歌の「誕生の地」である今津港には「琵琶湖周航の歌資料館」もあり、さまざまな歌手や演奏による「周航の歌」の聴き比べが楽しめるので、時間があれば寄り道を。
『琵琶湖周航の歌』歌詞
- われは湖(うみ)の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと 昇る狭霧(さぎり)や さざなみの 志賀の都よ いざさらば
- 松は緑に 砂白き 雄松(おまつ)が里の 乙女子は 赤い椿の 森陰に はかない恋に 泣くとかや
- 波のまにまに 漂えば 赤い泊火(とまりび) 懐かしみ 行方定めぬ 波枕 今日は今津か 長浜か
- 瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮 古い伝えの 竹生島(ちくぶじま) 仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて 眠れ乙女子 やすらけく
- 矢の根は深く 埋(うず)もれて 夏草しげき 堀のあと 古城にひとり 佇(たたず)めば 比良(ひら)も伊吹も 夢のごと
- 西国十番 長命寺 汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて 黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん 語れ我が友 熱き心
名称 | 『琵琶湖周航の歌』歌碑 |
所在地 | 滋賀県高島市今津町今津33 |
関連HP | びわ湖高島観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR近江今津駅から徒歩10分 |
問い合わせ | びわ湖高島観光協会 TEL:0740-33-7101/FAX:0740-33-7105 |
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