滋賀県甲賀市信楽町にある信楽焼の窯跡で、滋賀県の史跡、経済産業省の近代化産業遺産に認定されるのが丸又窯(まるまたかま)。連房式で11室ある登り窯で、昭和8年〜昭和38年の間に、火鉢などを焼成していたもの。信楽窯元散策路を使って丸由窯跡、明山窯跡などとともに探勝することができます。
信楽焼の最盛期を象徴する火鉢を焼いた窯跡
丸又窯は、昭和3年から5年の歳月を費やして小川又一が整地して築き、昭和8年に菱三製陶の分家として開窯。
明治時代に開発された深淵な碧色(みどりいろ)と白色失透色が粒状に溶け合った斑点模様の「海鼠釉」(なまこゆう)を用いた火鉢を、暖房器具として焼成し、「一家団欒信楽火鉢」をキャッチフレーズに全国に流通させたのです。
信楽焼の戦後の最盛期を迎えたのです。
この丸又窯でも年5〜6回は窯焚きを行ない、火鉢、花瓶、植木鉢などを焼成していました。
現在は素屋(屋根)を取り払って保存されています。
「輸出製品開発や国内需要拡大による中部、近畿、山陰の窯業近代化の歩みを物語る近代化産業遺産群」として丸由窯跡とともに経済産業省の近代化産業遺産に認定(「甲賀市の窯業(信楽焼)関連遺産」)。
また、信楽焼窯跡群は、日本遺産「きっと恋する六古窯-日本生まれ日本育ちのやきもの産地-」の構成資産にもなっています。
ちなみに、信楽焼というとタヌキの置物のイメージが強いのですが、鎌倉時代に常滑焼(とこなめやき=六古窯のひとつ、愛知県常滑市の焼き物)の影響を受けて、甕 (かめ)、壺、すり鉢を焼成したのが始まり(黄瀬イシヤ遺跡)。
タヌキの置物は、明治時代、陶芸家・藤原銕造がつくったものが最初で、昭和26年に昭和天皇を迎える際に信楽狸に日の丸の小旗を持たせ沿道に設置して有名になり、「他を抜く」ことから縁起物として人気に。
しかし、産業としては昭和の火鉢で、陶芸作品的には土中の鉄分が赤く発色する火色(緋色)と、自然降灰釉(ビードロ釉)の付着が特徴です。
信楽焼窯跡群・丸又窯跡 | |
名称 | 信楽焼窯跡群・丸又窯跡 |
所在地 | 滋賀県甲賀市信楽町長野 |
ドライブで | 新名神高速道路信楽ICから約7km |
問い合わせ | 信楽町観光協会 TEL:0748-82-2345/ FAX:0748-82-2551 |
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