長野県下諏訪町の諏訪湖畔に建つ下諏訪町立諏訪湖博物館・島木赤彦記念館の前には、「下駄スケート発祥の地」の石碑と下駄スケートを履いて滑る子どもたちの像が立っています。下諏訪町の諏訪大社下社秋宮横にある天然スケートリンク「秋宮リンク」は、明治42年開設。ここが目下注目のカーリング発祥の地にもなっているのです。
国内初のスケート競技大会は諏訪湖で開催された!
明治39年、下諏訪町の飾り職人・河西準乃助(かさいじゅんのすけ)は、諏訪中学生の依頼を受け、外国製のスケート靴を模して下駄の底に鉄製の刃をつけだけの簡易な「カネヤマ式下駄スケート」を製造します(カネヤマは、現在、鋼材販売の株式会社カネヤマ/長野県諏訪郡下諏訪町5020-1として営業)。
中央東線の開通(明治39年)を受けて明治41年2月14日には諏訪湖で下駄スケートによるスピードスケートの「諏訪湖一周氷滑競争大会」が開催。
南信日日新聞社(現・長野日報社)主催で行なわれたこの大会が国内では初めてのスケート競技大会とされています。
コースは諏訪市~下諏訪町~岡谷市の諏訪湖を周回する13km。
優勝者のタイムは46分でした。
地元の人は、下駄スケートを履いて明治42年開設の諏訪大社下社の秋宮リンクでスケートを楽しんだのです。
スケート熱は諏訪湖から、信州へ、そして全国へと広がります。
明治44年には名古屋と塩尻を結ぶ中央西線も開通し、大正時代には、東京や名古屋から諏訪湖へ「スケート列車」がスケートシーズンには毎日運行されたほど。
明治44年開催の「第3回諏訪湖一周氷滑競走会」では3万人もの見物客を集めました。
秋宮リンクでは大正11年、日本初のフィギュアスケートの大会、大正13年に日本初のアイスホッケーの公式大会、昭和12年、日本初のカーリングの大会が開かれるなど、下諏訪はスケート王国として君臨するのです。
下駄スケート発祥の地&カーリング発祥の地 | |
名称 | 下駄スケート発祥の地&カーリング発祥の地/げたすけーとはっしょうのち・かーりんぐはっしょうのち Lake Suwa Museum and Akahiko Memorial Museum |
所在地 | 長野県諏訪郡下諏訪町高木 |
電車・バスで | JR下諏訪駅から徒歩25分 |
ドライブで | 中央自動車道岡谷ICから約7km |
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