島根県出雲市大社町、堀川に架かる宇迦橋(うがばし)北詰に立つのが、出雲大社・宇迦橋大鳥居(いずもおおやしろ・うがばしおおとり)。高さ23m、出雲大社一の鳥居で、北九州市小倉の篤志家・小林徳一郎の寄進で、大正4年の建立、国の登録有形文化財に指定されています。
国の登録有形文化財に指定のコンクリート製大鳥居
大正4年9月に着工、同年11月に完成するという短期間で完成した鳥居で、当時としては高価で貴重な鉄筋コンクリート製の明神鳥居。
大正4年11月に京都で行なわれた大正天皇御即位の大典(『大正天皇御大典』)を記念して建立されたもので、出雲大社本殿の高さは8丈(24m)より低く設計されています。
鳥居の中央に掲げられた「出雲大社」扁額(へんがく)の大きさは3.6m×2.7mで、6畳分という大きなもので、宮司で、政治家として埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事、司法大臣などを務めた千家尊福(せんげたかとみ)の筆。
当時、宇迦橋は、明治45年開業の国鉄大社線・大社駅から出雲大社に向かう神門通りに位置しており、まさに出雲大社の玄関口にあたっていました。
大正時代初期に神門通りが整備され、出雲大社参拝のための利用者は前年の3倍以上の5万人に増加し、大正13年に2代目となる駅舎が建てられています(現存する重要文化財に指定の旧大社駅)。
近代に整備された参道景観を象徴的に演出する鳥居として、国の登録有形文化財に指定。
寄進した小林徳一郎は、明治3年、島根県邑智郡高原村(たかはらむら=現・邑南町/注・高原村は明治22年の町村政施行以降の名称)で製鉄の経営者の家に生誕。
祖父や父にゆかりのあるところは横田村(現・奥出雲町)だったため、出雲人を自負していました。
小林家は経営に失敗して没落し、流浪の末に16歳で北九州・田川で炭鉱夫として働き、27歳で小倉で土木建築請負業(政府指定の請負師)を開始、青年実業家として台頭。
玄洋社の頭山満(とうやまみつる=国家主義運動の草分け的存在)、政治家などの知遇を得て土建業小林組の社長となり、九州、朝鮮で金山・炭鉱を経営して巨万の富を築いています。
大正3年44歳の時に初めて島根に帰省し、出雲大社に大鳥居を寄付する、赤字覚悟で八代湾の干拓事業など社会貢献を始めます。
森鴎外の『小倉日記』には「小徳は小倉の任侠なりと」と記されています。
出雲大社・宇迦橋大鳥居 | |
名称 | 出雲大社・宇迦橋大鳥居/いずもおおやしろ・うがばしおおとりい |
所在地 | 島根県出雲市大社町杵築南1387 |
関連HP | 出雲観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 一畑電車出雲大社前駅から徒歩3分 |
ドライブで | 山陰自動車道出雲ICから約11km |
駐車場 | 大駐車場(385台/無料)・第2駐車場(360台/無料)・かめやま広場駐車場(100台/無料) |
問い合わせ | 出雲大社社務所 TEL:0853-53-3100/FAX:0853-53-2515 |
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