東海道新幹線が開通した昭和39年10月1日、「夢の超特急」とPRされ、高度成長時代のシンボル的な存在となりました。ところが、「超特急」は、その34年も前に昭和5年10月1日に誕生していたのです。それが、東京〜神戸を走った超特急「燕」。東京〜大阪間を2時間20分も短縮した、まさに「超特急」だったのです。
蒸気機関車が牽引、御殿場回りで「超特急」

当時の東海道本線の最速、花形の特急は「富士」で、東京〜大阪の所要時間は10時間40分。
今なら「青春18きっぷ」で鈍行を乗り継いでも、10時間以内で大阪までたどりつけますが、当時は丹那トンネル(熱海〜沼津)がなく、大きく御殿場を回っていました(現在の御殿場線経由)。
しかも蒸気機関車が客車を牽引するかたち。
まだまだ東海道本線が非電化だった時代です。
途中の機関車交換、給水時間などを短縮するため、東京〜名古屋間は水槽車付きのC51形による通し運転が行なわれ、機関士など乗務員の交代も走行中に行なうという離れ業が「超特急」を生み出しました(乗務員は機関車、水槽車のデッキを通り客車へ移動)。
最高速度95km/hで、蒸気機関車としてはトップスピードで、荷物車、3等2両、洋食堂車、2等2両、最後尾に1等展望車という編成の豪華版です。
1等、2等、3等のすべての等級と食堂車を連結した初めての特急ということからも、誰にでも愛される超特急だったことがよくわかります。
なぜ超特急が誕生したのかといえば、鉄道省は昭和初期の旅客低迷という難題を抱えていたから。
関東大震災(大正12年)、そして第一次世界大戦時の景気の反動による昭和恐慌で、旅客需要が落ち込み、新たな需要を掘り起こす必要性に迫られていたからです。
鉄道省は、東京日日新聞・大阪日日新聞の「日本新八景」選定(昭和2年)の後援や、初の国立公園制定(昭和6年、国立公園法施行)に向けて『日本案内記』(昭和4年刊行)の出版など、旅行需要の掘り起こしに務めていましたが、その切り札となるのが、超特急「燕」だったのです。
東京オリンピック開催を契機に誕生した「夢の超特急」新幹線、そして超特急「燕」。
実は列車種別はともに特別急行列車(Limited Express)、単なる特急で、「夢を乗せて走り出した特急」ということに。
ちなみに、超特急のルーツは、名鉄の前身、愛知電気鉄道(愛電)で、昭和5年9月20日のダイヤ改正で、神宮前駅〜吉田駅(現・豊橋駅)を57分で結んだのが始まり。
10日ほど愛電の方が早く走らせたというわけです。
| 「超特急」の元祖は新幹線でない! 昭和5年登場、超特急「燕」の存在が | |
| 開催日時 | 【昭和レトロな旅】 超特急「燕」が東京〜神戸を9時間で走り抜けた時代、と相互リンクをお願いします |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |













