佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。豊臣秀吉の居館があった山里丸側にあった登城口が山里口(山里丸虎口)です。名護屋城下では当時盛んに茶の湯や能、歌会が催されていましたが、その中心的存在だったのが、山里丸(現在の広沢寺一帯)です。
豊臣秀吉の居館があった山里丸の入口
山里丸からは、千利休の影響を受けた竹造りの草庵茶室や月見櫓、井戸の跡が残されており、天目茶碗も出土。
ここが豊臣秀吉のプライベート的な空間だったと推測されています。
天正20年5月28日(1592年7月7日)、豊臣秀吉は、名護屋城で「黄金の茶室」を披露していますが、その「黄金の茶室」があったのも山里丸です。
スペイン領フィリピン総督の使節ファン・コーボの饗応、朝鮮の役の講話交渉に訪日した明国使節(謝用梓・徐一貫)の接待などにも使われた曲輪です。
また山里丸の北に隣接して、鯱鉾池(しゃちほこいけ)と呼ばれた外濠(水堀)がありますが、濠には人工の中洲や散歩道も設けられていたのだとか。
虎口(こぐち)である山里口の石垣も復元されていますが、上山里丸への出入り口となる通路を、6度も折り曲げることで意図的に見通しを悪くし、通りにくくしてあるという厳重な防御態勢。
さらに高い石垣や櫓門によって、秀吉の居住空間を堅く守っていたのです。
豊臣秀吉の死後、そのままの状態で放置されていたのではなく、とくに石垣の隅角部分などは、調査から人の手によって集中的に破壊されていることが判明。
おそらく天草・島原一揆(島原の乱)で、当時廃城だった原城に一揆軍が籠城したことから、その後全国で放置されたままだった廃城を、徳川幕府の命で意図的に破却されたものだと推測できます。
唯一破却されずに往時のままに残された隅角部が1ヶ所だけあり、復元修理されたほかの隅角部も当時の積み方で忠実に再現されています。
名護屋城・山里口(山里丸虎口) | |
名称 | 名護屋城・山里口(山里丸虎口)/なごやじょう・やまさとぐち(やまざとまるとらぐち) |
所在地 | 佐賀県唐津市鎮西町名護屋 |
関連HP | 肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会公式ホームページ |
電車・バスで | JR唐津駅大手口バスセンターから昭和バス波戸岬行きで40分、名護屋城博物館入口下車、徒歩5分。またはタクシーで30分 |
ドライブで | 九州自動車道福岡ICから約75km |
駐車場 | 名護屋城跡大手門駐車場(60台/無料) |
問い合わせ | 名護屋城跡観光案内所 TEL:0955-82-5774 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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