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肥前浜宿・継場

肥前浜宿・継場

佐賀県鹿島市、メインストリートが酒蔵通りと呼ばれる肥前浜宿(八本木宿)西端に位置するのが肥前浜宿・継場(ひぜんはまじゅくつぎば)。長崎街道多良往還に設けられた宿駅で、人馬の継立(つぎたて=乗り換え用の馬や人足の手配・荷物の振り分け業務)を行なう継立場(問屋場)だった建物です。

江戸時代の問屋場を再生保存

切妻造・大壁土蔵造の建物は、切妻の白壁が映える間口4間半の妻入商家で、国の登録有形文化財。
玄関の柱には馬をつないだ鉄の輪も残されています。
明治時代には呉服問屋となり、のちに隣接した浜郵便局の局長官舎としても利用された建物で、築造は18世紀末頃と推測されています。
現存する間取りが明治初期の呉服屋当時のものだったため、それを基本に再生されて、見学が可能。

1階の表通り側には、間口4間半すべてに摺り上げ式の雨戸(揚戸、跳ね上げ戸)が付けられ、通りに面した土間と店舗(帳場)の全面に採光が可能。
また帳場奥には茶の間や座敷が続き、土間と最奥にあるかまど部屋は直結。

台所はこの部屋と座敷に接するように配され、物資運搬や人の動き、今風にいえば生活導線に配慮した造りになっています。
一方、2階の妻面には庇(ひさし)が付いた小窓が2ヶ所設けられ、そこに防火戸を付設。
ここでも機能と意匠を両立させている点に注目を。

現在は町歩きの基地として観光案内を行なっており、休憩所としても利用可能です。

酒蔵通り一帯は、鹿島市浜中町八本木宿伝統的建造物群保存地区に選定。
継場に隣接して浜郵便局跡(八宿公民館)があります。

長崎街道多良往還とは!?

江戸時代初頭に佐賀藩が整備した長崎街道の第一の幹線が長崎街道多良往還。
永昌宿(長崎県諫早市永昌町)を起点に、湯江宿(長崎県諫早市)、山茶花茶屋(長崎県諫早市)、多良宿(佐賀県太良町)などを経由し、肥前浜宿(佐賀県鹿島市)、鹿島宿(佐賀県鹿島市)、塩田宿(佐賀県嬉野市)までの総距離約48km(十二里八町)のルートです。

途中、湯江分(長崎県諫早市高来町)からは、山あいのルートと有明海沿いのルートの二手に分かれますが、再び多良宿で合流します。

多良海道、多良通(たらみち)などとも呼ばれ、諫早永昌から多良岳東側を通る有明海周りで、鹿島・塩田を経て佐賀に至るルートのため他藩の領地を経由せずに長崎港警備への赴任、出島からの情報伝達ができたのです。
諫早の光江津湊や太良の竹崎湊などで海路と接続し、有明海の舟運との連絡がありました。

肥前浜宿・継場
名称 肥前浜宿・継場/ひぜんはまじゅく・つぎば
所在地 佐賀県鹿島市浜町
関連HP 鹿島市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR肥前浜駅から徒歩5分
ドライブで 長崎自動車道武雄北方ICから約19.4km。または、嬉野ICから約17.5km
駐車場 まちなみ駐車場(無料)観光直売所浜宿いきいき館駐車場を利用
問い合わせ NPO法人肥前浜宿水とまちなみの会 TEL:0954-69-8004
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

肥前浜宿酒蔵通り(鹿島市浜中町八本木宿伝統的建造物群保存地区)

佐賀県鹿島市、旧長崎街道の多良往還(多良海道)が町を貫く浜中町八本木宿。浜川左岸に位置し、右岸の浜庄津町浜金屋町(庄金地区)と並び、重要伝統的建造物群保存地区(鹿島市浜中町八本木宿伝統的建造物群保存地区)に指定されているのが肥前浜宿酒蔵通り

肥前浜宿・浜郵便局跡(八宿公民館)

佐賀県鹿島市、メインストリートが酒蔵通りと呼ばれる肥前浜宿(八本木宿)西端に位置するのが肥前浜宿・浜郵便局跡(八宿公民館)。現在は八宿地区の公民館として再生利用されていますが、もとは昭和12年、当時の浜郵便局として建てられたもので、昭和50

 

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