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名護屋城・堀秀治陣跡

名護屋城・堀秀治陣跡

佐賀県唐津市、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して築かれた巨大な城郭、名護屋城の周囲に布陣した諸将ですが、それぞれ石垣を築いて陣屋を構えています。堀秀治陣跡(ほりひではるじんあと)は、現在確認される130あまりの陣跡のうちでももっとも遺構が整備された陣跡で、見学にも最適です。

御殿、能舞台を備えた城館跡は見学に最適

御殿の跡

国の特別史跡の指定を受けている史跡は23ヶ所ありますが、そのひとつが堀秀治陣屋跡。
全国から参集した諸大名は九州中心の西国勢が、朝鮮半島へ出陣した大名を渡海衆、名護屋城を守備する東国中心の大名を在陣衆と呼んでいましたが、堀秀治は在陣衆のひとり。

堀秀治は越前北ノ庄城を居城とする戦国大名で、文禄2年(1593年)には伏見城工事も担っています。
文禄の役開戦当時には16歳の若さで参陣していますが、秀治の父・堀秀政は秀吉の信任があつく、陣屋の面積も11haと大規模で、6つの曲輪(くるわ)で構成されています。
堀秀治自身は渡海せず、合戦の間この陣で生活していることから、特別待遇だったことがわかります。

名護屋城の南西に位置する堀秀治陣屋跡は、善友山という丘一帯が陣屋跡。
御殿のほか能舞台の跡が確認され、戦陣というよりも城館というのがふさわしい内容です。

その後堀秀治は、関ヶ原の戦いでは東軍に与し、越後福嶋藩の初代藩主に。

堀秀治陣跡は、豊臣秀保(とよとみひでやす)陣跡、古田織部陣跡(茶人を彷彿とさせる陣跡構造)、鍋島直茂陣跡などとともに、名護屋城本城を核とした「歴史探訪ゾーン」の一角に位置しています。

能舞台の跡
名護屋城・堀秀治陣跡
名称 名護屋城・堀秀治陣跡/なごやじょう・ほりひではるじんあと
所在地 佐賀県唐津市鎮西町名護屋
ドライブで 九州自動車道福岡ICから約90km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

名護屋城・上杉景勝陣跡

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の巨大な軍事基地・名護屋城(佐賀県唐津市)には、おびただしい数の諸大名の陣屋が存在。地元で「越後陣」と呼ばれた米納戸(ヨノド)近くにあるのが上杉景勝陣跡。上杉景勝は、豊臣政権の重臣・五大老の一人で、5000人を率いて肥

名護屋城・直江兼続陣跡

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた名護屋城。上杉景勝の陣跡にぴたりと寄り添うかのように残されているのが、直江兼続陣跡(なおえかねつぐじんあと)です。その縄張りなどから、景勝の家臣である直江兼続の陣屋も130m×150mという

佐賀県立名護屋城博物館

豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵(文禄・慶長の役/1592年〜1598年)により、それまで築き上げてきた、朝鮮半島との交流は途絶。佐賀県立名護屋城博物館はそうした過去の反省に立ち、日本列島と朝鮮半島との交流の歴史を紹介し、双方の交流と友好をテーマ

名護屋城

豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点とするために肥前国松浦郡名護屋(現・佐賀県唐津市)に築城の達人といわれた加藤清正などの諸将に築かせた城が名護屋城(なごやじょう)。松浦党・波多親(はたちかし)の家臣、名護屋経述(なごやつねのぶ=広沢

名護屋城・大手口

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。佐賀県立名護屋城博物館前にある駐車場から観光案内所を通り、名護屋城へと入る部分が、城の正面玄関にあたる大手口。大手口を起点に南に向かって唐津に通じ

名護屋城・天守台跡

築城の達人・加藤清正を筆頭に、諸将の普請によって築かれた名護屋城(佐賀県唐津市)。標高89mの山頂部分には5層7階、高さ25~30mの天守を有した本丸があり、22m×18mの天守台の跡からは、巨大な礎石列や穴蔵が発掘、周囲からは金箔の瓦など

名護屋城・本丸

豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、外征基地として築いた城が名護屋城(佐賀県唐津市)。北西に壱岐、対馬の島影を視認し、加部島が防波堤の役割をする地に築いた、当時、大坂城に次ぐ規模の巨城です。その中心で、丘陵の高台に位置し、五層の天守がそびえたのが本丸

名護屋城・東出丸

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。正面玄関にあたる大手口からまっすぐ続く登城坂を上ると、右手に広がるのが東出丸。地元で千人枡と呼ばれる曲輪(くるわ)です、大手口や三の丸の警護をする

名護屋城・三の丸

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。本丸を守る重要な曲輪が三の丸。大手口→東出丸→三の丸と登城し、到達することができます。馬場を通じて本丸を隔てた反対側に位置する二の丸とも連絡してい

名護屋城・本丸大手門

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。三の丸からの入る本丸の玄関口にある最後の関門が本丸大手門。大手口→東出丸→三の丸→本丸大手門と登城し、到達することができます。往時には二層の豪壮な

名護屋城・二の丸

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。当時、大坂城に次ぐ巨城でしたが、本丸の西に配されているのが二の丸です。武器、兵糧などを保管する建物があったと推測される曲輪(くるわ)で、長屋建物(掘立柱建物)の跡が見つかっ

名護屋城・遊撃丸

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。当時、大坂城に次ぐ巨城でしたが、本丸の北西、二の丸の北に配された曲輪(くるわ)が遊撃丸。眼下に船手口があり、朝鮮の役の講話の際に、明国側講話使節(遊撃将軍・沈惟敬が派遣)の

名護屋城・山里口(山里丸虎口)

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。豊臣秀吉の居館があった山里丸側にあった登城口が山里口(山里丸虎口)です。名護屋城下では当時盛んに茶の湯や能、歌会が催されていましたが、その中心的存在だったのが、山里丸(現在

名護屋城・本丸旧石垣

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。天草・島原一揆(島原の乱)で、一揆軍が廃城となっていた原城に籠城したことから、名護屋城も徹底的に破却されましたが、本丸旧石垣は、貴重な築城時代の石

名護屋城・馬場

佐賀県唐津市、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、外征基地として築かれた巨大な城が名護屋城。本丸の南側に帯曲輪(おびくるわ)的に配されているのが馬場です。本丸、三の丸の守備という役割をも有していたため櫓も建てられ、櫓台の石垣が残されています。三の丸と

名護屋城・弾正丸(搦手口)

佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。南西側、搦手口(裏門)に位置する曲輪(くるわ)が弾正丸(だんじょうまる)。豊臣政権・五奉行の浅野長政(官位は弾正少弼・だんじょうしょうひつ)の居館

 

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