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大福寺

大福寺

静岡県浜松市北区三ヶ日町にある真言宗の古刹が、大福寺。貞観17年(875年)、教待(きょうたい)が富幕山(とんまくやま/563.2m)に開創した幡教寺が前身で(標高397mの地点の幡教寺跡地が園地になっています)。大福寺伝来の大福寺納豆(浜名納豆)は、徳川将軍家に献上された特産品です。

秘伝で手作りの、徳川家康も愛した大福寺納豆を販売

承元元年(1207年)、浜名神戸司(はまなかんべのつかさ/浜名神戸=遠江国浜名郡にあった伊勢神宮の荘園の管理者)の大中臣時定(おおなかとみのときさだ)が所領250町歩を寄進して明性阿闇梨が現在地に移し、土御門天皇から勅額を下賜されて大福寺と改称。
往時には塔頭(たっちゅう=子院)30を数え隆盛を極めました。

境内には貴重な文化財を所蔵する宝物館、江戸時代初期の茶人・山田宗偏(やまだ そうへん)が愛したと伝えられる観賞回遊式庭園もあり、静岡県の名勝になっています。

大福寺伝来の大福寺納豆は、室町時代に中国・明の僧から伝授されたもので、足利義勝、今川義元、豊臣秀吉、徳川家康らに献上。
山椒(さんしょう)の中皮が薬味に入り食欲を増進させ、武将にも愛されたのです。

当初は唐納豆(からなっとう)と呼ばれていましたが、江戸に移った徳川家康に献上するのが遅れたときに、「浜名の納豆はまだか」(もともと浜松城は家康の出世城)と大好物の到着を待ちわびたことから「浜名納豆」と呼ばれるようになったのだとか。

茹でた大豆に麹菌(こうじきん)を加えて樽に入れ、重りを載せて3ヶ月ほど塩水に漬けて熟成。
その後、客殿の縁側で自然乾燥させ、最後に山椒の中皮を混ぜて完成で、「今も変わらぬ製法で、年間1tほどの大豆を発酵させています」(大福寺)とのこと。
販売は例年10月下旬~5月下旬頃。

例年12月~2月には境内の半歳桜(はんとしざくら)が見頃に。

浜名湖の湖北五山の一山。
湖北五山は、方広寺・奥山半僧坊、龍潭寺(りょうたんじ)、大福寺、摩訶耶寺(まかやじ)と初山宝林寺。

大福寺
名称 大福寺/だいふくじ
所在地 静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3
関連HP 大福寺公式ホームページ
電車・バスで 天竜浜名湖鉄道三ヶ日駅からタクシーで10分
ドライブで 東名高速道路三ヶ日ICから約9km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 大福寺 TEL:053-525-0278/FAX:053-525-0528
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

方広寺・奥山半僧坊

建徳2年(1371年)、無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ/後醍醐天皇の皇子=円明大師)が開いた東海屈指の名刹。山号は深奥山(じんのうざん)。方広萬寿禅寺が正式な寺の名ですが方広寺・奥山半僧坊(地元では「半僧坊」)と通称されています。黒塗り

龍潭寺

寺伝によれば天平5年(733年)、行基によって開かれた奥浜名の古刹が龍潭寺(りょうたんじ)。井伊氏初代当主・井伊共保(いいともやす)は、寛治7年(1093年)に没すると八幡山地蔵寺(現・龍潭寺)に葬られ、以降豪族・井伊氏の菩提寺となりました

初山宝林寺

静岡県浜松市北区細江町、奥浜名に建つ黄檗宗(おうばくしゅう)の寺が、初山宝林寺(しょさんほうりんじ)。黄檗宗開祖・隠元とともに来日した明国の僧・独湛性瑩(どくたんしょうけい)が金指近藤家2代で、旗本・近藤貞用(こんどうさだもち)の尊崇を得て

摩訶耶寺

静岡県浜松市北区三ヶ日町、奥浜名にある高野山真言宗の古刹が、摩訶耶寺(まかやじ)。寺伝によれば、神亀3年(726年)、行基の創建。平安時代末期、一条天皇の勅願で、千頭峯(せんとうがみね)から現寺地に移っています。現存する総欅造りの本堂は、寛

 

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