花岳寺
中世に吉良荘を領有した吉良氏は、西条と東条に分かれていましたが(家康に仕えた吉良義安が統一)、東条吉良氏の菩提寺として創建されたのが臨済宗妙心寺派の寺、花岳寺(かがくじ)。江戸時代には高家(こうけ=徳川幕府で儀式や典礼を…
中世に吉良荘を領有した吉良氏は、西条と東条に分かれていましたが(家康に仕えた吉良義安が統一)、東条吉良氏の菩提寺として創建されたのが臨済宗妙心寺派の寺、花岳寺(かがくじ)。江戸時代には高家(こうけ=徳川幕府で儀式や典礼を…
『忠臣蔵』の敵役(かたきやく)となっている吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)は、高家肝煎(こうけきもいり=有職故実や礼儀作法に精通する高家の代表者3名)に選ばれる名家。しかも地元では名君として知られていますが、…
地元では名君として知られる吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)が、1686(貞享3)年、洪水被害にあえぐ領民たちのために、私財を投げ打って築いた堤が西尾市吉良町に残される黄金堤(こがねつつみ)。高さ4mの堤を長さ…
明治43年11月29日に「開南丸」で芝浦埠頭を出航した白瀬矗(しらせのぶ)は、南緯80度5分の地点に到達して大和雪原(やまとゆきはら)と命名。晩年は愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)の次女の部屋で生活し、昭和21年9月4…