楢下宿・新橋
山形県上山市、羽州街道の宿場、楢下宿(ならげしゅく)の真ん中を流れる金山川に、明治13年に架橋された石造アーチ橋が新橋(しんばし)。下町に明治15年架橋の石造アーチ橋「覗橋」があり、2つを合わせてメガネが完成し、新橋を、…
山形県上山市、羽州街道の宿場、楢下宿(ならげしゅく)の真ん中を流れる金山川に、明治13年に架橋された石造アーチ橋が新橋(しんばし)。下町に明治15年架橋の石造アーチ橋「覗橋」があり、2つを合わせてメガネが完成し、新橋を、…
宮崎県都城市横市町に鎮座するのが母智丘神社(もちおじんじゃ)。母智丘(もちお)の頂には巨石群があり、古代には巨石信仰の地であったことが推測されます。明治2年9月に都城地頭として赴任した旧薩摩藩士・三島通庸(みしまみちつね…
栃木県那須塩原市、塩原温泉郷の福渡温泉近くで箒川(ほうきがわ)が大きく蛇行している場所にあるのが天皇の間記念公園。公園内には旧塩原御用邸で「天皇の間」と呼ばれていた建物を移築し一般に公開。もともとは塩原街道を開発整備した…
明治11年、初代の山形県令・三島通庸(みしまみちつね)の命により建設された擬洋風建築が旧西田川郡役所。廃藩置県後の明治9年に置賜、山形、鶴岡の3県が統合して山形県が誕生。明治11年に郡制が施行され、山形県内に11の郡が生…
明治17年11月、初代の山形県令・三島通庸(みしまみちつね)の命により馬場町に完成したのが鶴岡警察署庁舎。昭和32年に酒井家が無償で提供した現在の地に移され、現在は、財団法人致道博物館の事務所棟として使用されています。明…
那須野ヶ原に農業、飲料の用水を供給するために、明治18年、栃木県令(県令=廃藩置県、藩知事廃止後、明治4年〜19年に置かれた県の長官)・三島通庸(みしまみちつね)、さらには地元の実業家・矢板武(やいたたけし)、印南丈作(…
明治の初め、山形県内には初代山形県令・三島通庸(みしまみちつね)の「山形の近代化を図る」という政策のもと、多くの擬洋風建築が建てられましたが、山形市に現存する旧済生館本館もそのひとつで、明治11年、山形県立病院として建設…
明治初年に初代県令・三島通庸(みしまみちつね)が、文明開化政策の一環として洋風建築を積極的に建てたことから山形市内には美しい明治期の洋館が残されています。山形県立博物館の分館である教育資料館は明治11年に建てられ、明治3…